渡り歩く夜
どこにでもいる、何の変哲もない、普通の人間だった。

今となってはもう全て過去形で、私が普通じゃなくなってしまった事くらい分かるし、どんなにそれが認めたくない事でも事実だった。何が悪かったのか、なにも悪くなかったのか、何処からが間違いだったのか、何処からが正解だったのか。もう、私には分からないけれど。だけど、少なくとも、私は普通の、にんげん、だった。

それが中学生か、高校生か、はたまた社会人だったのかは、もう分からないけど。ある日突然、死んでしまった。その死んだ理由が事故だったのか、病気だったのか、それはもう分からないけど。だけど、そうして死んだ私は、どうしてかその時の・・・その失った人生の記憶を全て持ったまま生まれ変わって、第2の人生を手に入れた。だけどそれは、私にとっては全く幸運なんかじゃなかった。寧ろそれは、不幸に他ならない事実だった。

もしもその記憶が、他人の物として見れたなら、違ったのかもしれない。だけど私の中にあった前世の記憶は間違いなく私のもので、私はその世界に生まれた時その瞬間にも、前世の・・・死んだ直後からの記憶が引き継がれていた。客観的になんて見れなかったし、その事実は確かに私が経験した事実だった。そしてそこにあった思い出は、いいものばかりではなかったけど。それでも全て大切な、かけがえのない記憶と人達で埋め尽くされていた。もう1度生きるチャンスを与えてくれただなんて思えなかった。少なくとも、私は前世で人生をやり直したいだなんて事思ってはいなかったし、その人生を謳歌していた。大切にしていた。

・・・そうしていた記憶が、ある。

だから私は酷く苦しんだ。苦しかった。辛かった。痛かった。生まれ変わった世界の両親は優しくて、前世の記憶を持っている分大人びていて、見方によっては気持ち悪かった筈の私の事をとても可愛がってくれた。だけど、どうしたって咬み合わない。

親から与えられる、『我が子に向ける』愛情が痛かった。だって私にはその人達とは別に大切な両親がいて、その人達に小さい時からずっと育てられた。行き成り現れた別の両親に、直ぐにそれを移し替える事なんて出来なかった。だけど両親は、何処まででだって、優しかった。

友達なんて出来るわけがなかった。だって私は見た目こそ子供でも、年齢はもうずっと上だった。なのに周りにいる小さい幼稚園や小学生の子供たちと同じ目線で考えたり行動したりなんでできるわけ無くて、どうしたって仲のいい友達になんてなれない。精々、面倒を見てあげる子、程度だ。どうしたって一歩も十歩も引いた所からただ時間が過ぎるのを傍観ている私は、当然クラスからは浮いた。1度虐められた事もあったけど、あまりにもレベルが低すぎて何も感じなかったし、それ以降はそう言う面倒を回避する術だって知っていたから、適当に立ちまわっただけ。なんの問題も無く、素行も良く過ごした学生生活。何事も無さ過ぎた所為で、教師たちの間では何か"変"だって言われていた事を知っていた。

誰かにこの胸の内をぶちまけたいと思った事は、何度もあった。助けて欲しいと何度も叫んだ。だってこの世界の中で、前世の記憶はあまりに私に優しすぎる記憶だった。優しすぎて、私の胸を、全身を鋭く抉るものだった。何度だって帰りたいと叫んで、その度に帰れない事実に絶望した。何度も死ねば元の世界に生まれる事が出来るだろうか、また両親に会う事が出来るだろうか、あの場所に帰る事が出来るだろうかって考えた。

・・・でも、前世で死んだ記憶のあった私は、死ぬ事の恐ろしさを知ってしまっていた為にそれをする勇気が無かった。そしてそれ以上に。もしも死んだ後、また同じように全く別の場所で全く別の人達の間に生まれてしまったら。そう考えると、それすら恐ろしくて私はそれに縋る事も出来なかった。
そうして結局私は何もしないまま、ただ苦しいまま、死ぬよりもましだとその苦痛を耐え忍んで生きてきた。

誰にも言えない過去と想いを抱えたまま。私はいつだって、独りだった。
私が話せる事を全部話し終わった後。ようやくこの長ったらしい会話が終わったのか、コムイさんがぱん!と手を叩いてその区切りを知らせると、「それじゃぁ、ちゃんはイノセンスやAKUMA・・・千年伯爵の事についてはクロス元帥から聞いて知っているって事でいいのかな?」そう私に確認をして来たからそれには直ぐに頷いた。元々クロスおじさんに会った時、私がイノセンスの適合者だって事で色々教えてもらっていた。おじさん自身は私にエクソシストになるように、なんて事は一言足りとも口には出さなかったけど、実際いつかこうなる事は分かってたんだろう。それでも私が生きるのに必要な情報を必要なだけ無償で与えてくれたおじさんには、感謝してもし足りない程だけれど。

そう思って僅かに下を向いた私に、コムイさんの方が「それなら説明省いて検査をして貰う事になるけど・・・」って続けたのに頷こうとして、だけど今度は横から「あーコムイ」と口を挟んだラビくんによって止められた。それに何かと思って彼の方を振り返れば、ラビくんは相変わらずのヘラっとした笑みを作って口を開いた。

「それなんだけど、俺等まだ夕飯食ってねぇんさ。」
「あ、そっか。じゃぁラビくん一緒に行ってあげてね。ちゃんはご飯食べてからまた戻ってきて。」

別に、いいのに・・・思ったけど、確かに暫くご飯食べてないなと思って素直に「・・・はぁ、」と頷いておいた。そんな私に笑ったラビくんは、そのまま視線をユウって人に移して「ユウも一緒に食・・・」言った所で物凄い眼光で睨まれていた。で、結局「・・・わ、ねぇよな。んじゃー、行くか。ついでに教団中案内するさ。」と、この部屋からとっとと早足で出て行った彼を見送ってから私に笑いかけてきたから、また私も「はぁい。」と答えた。
・・・所で、コムイさんが「あぁ、その前に最後に1つだけ確認!」と人差し指を立てた。

ちゃんは今日から教団のエクソシストになってもらう事になるけど、それでいいのかな?」

問われた言葉に、瞬いた。きっと今の表情に音を付けるとしたら『きょとん』っていう効果音が1番適切かもしれない。だけど直ぐにその言われた言葉を脳内で処理すれば、「・・・ふふっ」と思わず笑いが漏れてしまった。それに「?何か可笑しかったかい?」と不思議そうな顔をした彼に、私の方が不思議に思ってしまう。「だって、」

「嫌だって言えば逃がしてもらえるんですか?」
「、」
「お腹すいちゃった。ラビくん、食堂ってどんな食べ物あるの?」
「えあっ?!あぁ、ジェリーの作れるもんなら何でもあるぜ。取り敢えずなんでも頼んでみると良いさ。」

きっと私の切り返しに驚いたんだろうラビくんは、けれど直ぐにハッとすると笑みを形作って私をこの部屋の外に誘導した。背中に見える筈の唖然とした表情の彼等には、もう既に興味は失っていた。。







食堂を最後の目的地に、教団内の長く広い廊下を歩きながらひそひそと私を見て話す人達の言葉は全部無視して、少し前を歩いてアレは何だこれがこーだっていう説明をしてくれるラビくんに大人しく着いていく。談話室に3階層に渡った修練場。他に療養所、書室と案内してもらって、後で各自部屋も割り当てられると聞いて、そんなに待遇いいんだと思いながら、だけどエクソシストの仕事を考えればそれぐらい当然かと納得する。

「エクソシストは基本此処から任務に向かうから、この本部を『ホーム』って呼ぶ奴もいるんさ。」
「へぇ」

その情報はどうでもいいやと思いながら適当に返事をしたら即座にばれて「んなどーでもよさそうにすんなって」って呆れられた。
・・・と。長い廊下を食堂に向けて歩いていた時。不意に「・・ぁ、」と発したラビくんになにと思ってその顔を見上げたら、彼はしまったと言わんばかりの表情を作って見せてからくるっと私に笑みを向けた。

「やっぱ、今日はあっちの道で行こうぜ。」
「え?なんで、だって普段はこっちの道なんでしょ?今教えてよ。」
「あー、いやー・・・」

言い淀む彼に眉を寄せる。そんなに私に見られたら不味いような物でもあるのかな、と思いつつ。だけど私はこれから過ごす事になる場所だし、最初の内にとっとと場所を覚えちゃいたい。それを思って今だ渋い顔をするラビくんの横を抜けて一本道の廊下を進んでいけば、その先から微かな音が聞こえてきた。それに何かと思いながらも歩き続ければ、それが誰かの啜り泣くような『声』である事に気付いた。そしてその声にラビくんをチラリと覗き見れば、案の定バツの悪そうな顔をしていた事に廊下に視線を戻した。

そうして見えた開けた場所。そうして丸く穴を開けたように手摺を巡らせたその下にある場所を見下ろして、「・・・あぁ、」そう言う事かと目を細めた。そこは、広いホールのような場所だった。丁度私達がいるのはそこを見下ろせる2階部分にあたって、此処からは1階の広い床にずらりと並べられた棺桶の数が嫌になる位顕著に分かった。その数は1つや2つなんて可愛らしい数じゃなく、何百もにも及んでいて、その棺桶の前で立ち尽くす人、座り込んで顔を伏せて泣き崩れている人。兎に角多くの人がそこで涙を流していた。

霊安室・・・というより、霊安室に置ききれない数だから、この広い場所に取り敢えず並べてるんだろうな。ラビくんは、これを見せないようにしてくれたのかと思って、その気遣いにだけ感謝して、だけど今日これを見れた事に安堵した。・・・只でさえ勝ち目の薄そうな戦いだとは思ってたけど、これで正確に理解出来た。

一目で分かる。これは、負け戦だ。これだけ死人がいるのに、生きてる方も怪我人ばっかり。敵は人の姿に紛れたAKUMA。しかも人がいる限り永遠に生産が可能な兵器。対してこっちの戦力は絶対数が限られてる上に、それを見つけ出す事すら困難なエクソシストのみ。それを思えば「なんでわざわざ死ぬ為に負け戦なんて続けてるのかしら」という思いが声に出てしまった。そんな私の言葉に「え?」と私を僅かに見開かれた眼で見つめたラビくんに、にこっと笑んだ。


きっと私はいつまで経っても、この場所に馴染める事はないだろう。だからずっと1人で戦ってきたし、誰かと一緒に行動する事なんて無かった。喜びも、悲しみも、他のどんな事も、ものも、全部、共有する事は出来ないだろう。たったひとつの事を守り通す為に、全てを犠牲にしてきたそれを、此処に来たからって変えるつもりはない。教団って言う場所で、エクソシストって言う物になったからには与えられた仕事はちゃんとこなすし、こなせるように努力する。
だけど、いつだって私が最優先にする事は私自身だ。だからその為ならいくらだって此処の人達を利用するし、犠牲にしよう。

「食堂ってあっちでいいの?今日はオムライスが食べたいな。作ってもらえるかな?」
「え?おぉ、そーゆーメジャーな奴ならいくらでも作ってもらえるさ。」

大丈夫、きっと、上手くやれる。         ひとりには、慣れている。
<< Back Date::110421 Next >>