憂いの杯が満たされるだけ
さわさわと。庭に咲く枝垂れ桜が風に揺れて花弁を落とすのを、月明かりだけが照らしてる。それはどうあっても綺麗な光景なのに、感情一つで見え方は変わってくる。今はこんなにきれいな桜なのに、どうしてか、暗く影を落として見えてしまう。それにふ、と息を吐いた時。ふわり。肩に温かなぬくもりが重なった。

「よぉ。確かに綺麗に咲いちゃぁいるが、こんな時間にこんな場所に居ると風邪ひくぜ。」

後ろから私の身体を包むみたいに温かさをくれたのは、鯉伴さんの大きい羽織だった。鯉伴さんは自分のそれを私に掛けると其処に立ちつくす私の横にどっかりと座ってぽんっと直ぐ横の床を叩いて「座れよ」と笑ってくれた。だけど私はさっきの事があって鯉伴さんとはあんまり話したくなかった。・・・だけどやっぱりさっきの後ろめたさがあるから大人しく其処に座って「羽織り・・・」と鯉伴さんを窺い見れば、「俺ぁこれがあるから大丈夫だよ」と言ってたぽんと鳴る一升瓶を見せて悪戯っぽく笑んだ。

そうしてその一升瓶を開けると、懐から出した杯にそれを注いでくいっと煽った。そうして「」と呼ばれた声に、唇を噛んだ。

「百鬼夜行の主は嫌かい?」
「・・・・・・はい。」
「ははっ、ハッキリ言うな。」

鯉伴さんはそう言って笑ったけど、心の中では何を考えてるかなんて分からない。だけど、
だけど、只優しいだけの目で私の事を見下ろす鯉伴さんに、私は、聞かなくて良い事を、つい、聞いてしまった。

「妖怪は、人を、恐れさせるもの・・・なんですよね。」
「ん?あぁ、そうだ。」
「だから、ガゴゼさんのやる事も分かるんです。でも、だけど・・・」

子供を、地獄に・・・それはつまり、殺したって事で。何人もの子供を殺したって言う話を、顔色一つ変えないで・・・むしろ誇らしそうに、称えるように話す妖怪たちに、吐き気すら覚えて。
それを思って言った私は、多分酷い事を言ってるんだと思うけど。そんな私に、だけど鯉伴さんはやっぱり、優しかった。「。」

「俺が、気味が悪いかい?」
「?いいえ。鯉伴さんは素敵です。」
「そ、そうか。」

え、何でそんな頓珍漢な話に・・・思いながら返した言葉に何故か鯉伴さんは掌を口に当ててすっと私から視線を逸らした。それにマズイ事でも言っただろうかとドキリとした。だけど直ぐに私の頬を撫でた鯉伴さんにそうじゃないのかとホッとした私に、また変わった質問が投げられた。

「じゃぁ何が嫌なんだ?親父が気味悪いのか?」
「え、あの・・・?ぬらりひょんさんも素敵です。」

言った直後「ブハッ!」と吹き出して笑いだした鯉伴さんにびくりと震えた。え、え・・・?なに、なんでそんな・・・え?私そんな可笑しい事何にも言ってない・・・よ、ね?思いながら。未だに肩を震わせて笑ってる鯉伴さんの背中をおずおずとさすれば、長い睫毛に涙まで付けて笑っている鯉伴さんが、ズイッとその顔を私の顔に近づけた。
・・・それには、かぁっと頬が熱を持って上気した。・・・生みの親でも、これだけ綺麗な顔が近くにあったら赤面したって仕方無いと、思う。けれどそんな私に鯉伴さんは至極真剣な顔で、さっきまで笑っていたなんて思わせない声調で、言った。

「百鬼の主は、重いか?」

びくり。さっきとは全く違う意味で震える。
頬の熱も一気に冷めてしまって、けれど「私、」と。答えるべき事には、答える。

「私、他人の命まで、背負えないです。」
「それならそれでいいさ。」

あっさりと返されたその言葉に瞬いた。そうして「怒らないんですか?」と問いかけた答えに、鯉伴さんは「何をだ?」なんて、本当に何の事だか分からないって顔で首を傾げたものだから、私の方も戸惑ってしまう。だからこそぎゅっと拳を握って「だって、私・・・」と俯いた私に、「・・・あぁ、その事か」と。ようやく思い至ったみたいに声を上げた。

「なんだ?可愛い娘の進路にケチ付ける程俺の心は狭くねえぞ?」

私の言葉の意味を正しく知って、それでもそう言って笑う鯉伴さんの考えてる事が分からなかった。でも、だって・・・あんな大勢の前で、断ったのに。鯉伴さんとぬらりひょんさんの言葉を、想いを、無碍にしたのに。
思って。きっと表情全部に戸惑いを浮かべてる私の両頬を大きい掌で包んだ鯉伴さんはコツッと私の額に自分のそれを当てた。

「親父はあぁ言ってるけどな、俺はお前が決めた事ならどっちだっていいんだ。お前がちゃんと自分で考えて出した答えならそれがどんなもんだって良い。・・・ま。継いでもらいたいってのは本当だけどな、人生ってのは親が決めるもんじゃぁねぇだろ?」

その言葉に、俯いた。それは、そう・・・だけど、
思った、刹那。「だから、」

「違うと思った事は、変えていい。」

その言葉に、ハッと顔を上げた。そうすればゴツッ、って額同士がぶつからないようにすっと後ろに上体を戻した鯉伴さんはははっと笑って。そうして人差し指を唇に当てて「内緒だぞ?」と言って・・・私から見てもお茶目にウインクした。

「俺は、人間が好きだ。だから、ガゴゼのやる事は気に入らねェ。だが、ガゴゼがああいう妖怪何だって事も理解してやらねえとな。親父や俺が人ん家から食いものを食って帰ってくる妖怪だってのと同じように、ガゴゼにもそういうもんがある。」

分かってる。
分かってるから、あの会話に口を出さなかったし、これからだって出す事はない。なのに、

「それでもお前がそうじゃないって思う事を、我慢する事はない。」

どうして、そんなにあっさり言えるんだろう。この人は、妖怪の事を私よりずっと理解してるのに。妖怪の、・・・百鬼夜行の主なのに。人を恐れさせるひとが、人を、好き・・・なんて。そうしてその上で、自分の組織を、変えていいなんて、言うんだろう。どうしてそんな事を言ったその後で、

「でも、お前が人として生きていたいって言うんなら、それだって構わない。全部お前の人生だ。」

そんなに、甘い、優しい事を、言うんだろう。
そんなの、

が正しいと思った事をすればいいんだ。」

そんなの、心苦しいだけなのに。
こんな風にしか思えない私は、人で無し、なんだろうなと、思う。
あぁでも、
「ただ、覚えとけよ。」
私なんて、とっくにひとでなし、か。
静かに、けれど何処までも透き通った透明の声が、鼓膜を揺らす。その声は、眼は、姿は。一人娘の父親のものじゃ、なかった。紛れも無く、百鬼を背負う。魑魅魍魎の主の、姿だった。そして、「お前はぬらりひょんの孫で、俺の娘で、・・・だから、」だから、


「人と同じ寿命では、死ねないんだ。」


それはもうずっと、知っている事だった。・・・いや、そうだろうと思ってた事だった。だって、ぬらりひょんさんも鯉伴さんも、人として生きられる寿命をとっくに超えていて。それなのに、こんなに若い姿でずっと生きている。その2人の血を、いくら人の・・・祖母、珱姫さんと、若菜さんの血を引いていると言っても、きっと・・・絶対。人としての寿命は、生きられないんだろう。

「ごめんな。」

そう言って謝る鯉伴さんは、けれど私を生んだ事を後悔なんてしてないんだろう。申し訳ないと、そうは思っても。悪い事をしたとは思ってないし、思わない。私だって、それを責めるつもりは全然ない。鯉伴さんは若菜さんと結婚して、そうして普通の夫婦として、子供を産んで、そうして私の事を育ててくれた。こんなに可愛くない、気味の悪い子供を、ずっと育ててくれたんだもの。なのに、

「私、・・・」

ただ・・・、ただ、切なくそう微笑んで。そっと私の頬を撫ぜた彼を前に、続けようとした後の言葉は、出てこなかった。そんな私にやっぱりこの人は優しく笑んで頭を撫でると、「おやすみ」と。そう言って私を見送ってくれるのだ。         私は、この人の子供になれて嫌じゃなかったというささやかな嘘も、吐けなかった。私は、"こう"なりたくは、なかった。
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