そんな風に困り果てる僕がいた
「6秒9!!?」その声に僅かに上がった息を整える為に大きく酸素を吸い込んで、額に浮かぶ汗をハンカチで拭った。今日は短距離走だったけど、来週からはバスケかバレーか選択の授業になるって言ってたっけなんて思いだしつつ。私は「くっそーまた負けた!」「うわぁ奴良すげー」なんて。女子だけじゃなくて男子にまで言われる言葉に居心地の悪さを感じてしまう。だから「また早くなったんじゃない?!」とか「俺とお前、何が違うってんだよ〜くそー」とかって言う言葉にもはぐらかすような返事しか出来なかったけど、・・・そんな私の元に、私の次に走り終えたカナちゃんがタタッと駆け寄って何処か嬉しそうに顔を緩めたて見せた。

「本当ちゃんってすごいね!体育なんて男子よりも出来るし、今日帰って来た算数のテストも満点だったし!!」
「あ、はは・・・ありがとう。」

体育は兎も角・・・テストは取れて当然なんだけどね、って言う言葉は口にしない。そんな話を続けながら、カナちゃんは話題を5時限目のプレゼン・・・グループごとに分かれてやった浮世絵町の街調べの発表会の話に移した。

「私の班は農家で育ててる野菜とかの事なんだ。ねぇ、ちゃんの班は何言うの?」
「え?あぁうん。私は浮世絵町の商店街と伝統工芸について。随分古くからあるお店とか多いから。」
「そっかー。あ。そう言えば清継達の班の発表が凄いって言ってたよ。確か・・・浮世絵町の妖怪について、だったかな?」

「皆が言ってたんだー」と。そう言って笑ったカナちゃんの言葉に瞬いた。・・・妖怪の、こと・・・
「ハハ・・・でも皆安心して!妖怪なんてのは昔の人が作った創作だから!この現代に出るわけないしね!」

そんな言葉で締めくくられた清継くんの班の発表は、確かに先生に満点と言わしめるくらいには(小学生には)完成度の高いものだった。だけど、


「妖怪は、そんなに悪いものばっかりじゃない。」
「え?なに?」

授業も終わり、放課後。自分の班の発表も結構好評で、先生からお褒めの言葉も頂いた。だけど、そんな些細な事はべつにどうでもよくって。・・・だけど、私はもっと・・・更に些細な事が胸に閊えて離れなかった。そんな思いもあったからだろうか。そんな事を呟いちゃったのは。私の言葉に玄関に向かいながら廊下を隣で歩くカナちゃんが不思議そうに問うた言葉に、呟く。

「悪い妖怪がいても、良い妖怪だっているもの。」
「それは聞き捨てならないな!」

ひとりごちるように囁いた言葉を耳にしてしまったのは、運の悪い事に「・・・清継くん、」だった。その彼は鼻にかけた様にひと息つくと、「僕のプレゼンが間違っているとでもいうのかい?!」なんて。そう高飛車・・・っていったら、言い方悪いかな。だけどそんな強気な態度でもって私の元に詰め寄った。そんな彼に・・・どうしてだろう。言わなくても良いのに、私の口はそんな言わないで良い事ばかりを、吐き出した。「だって、」

「人にだって悪い人と良い人がいるんだもの。悪い妖怪がいれば良い妖怪がいたって可笑しくないでしょう?」
「じゃぁ一体どんな妖怪が良い妖怪だって言うんだい?そんな妖怪がいるって言うならぜひ聞かせてもらいたいな。」

その言葉に、開きかけた口を閉じた。何で私、こんな・・・向きになってるんだろう。こんなのただの、子供の戯言なのに。"大人げない"、わたし。でも・・・「なんだい?やっぱりそんな妖怪なんていないんじゃないか!」なんて。そうして高らかに笑って見せたこの、子供に。私はどうして、「         、」

「ぬらりひょん。」
「ぬらりひょん?!」

はっはっは!盛大に笑った清継くんは、顔にかかった髪を後ろに払ってから人差し指を私に向けた。
ぬらりひょんっていう妖怪の事を知っているらしい彼は、私を嘲笑するように、言う。

「おバカ・・・『ぬらりひょん』ってのは人の家に勝手に上がり込んで勝手に飯を食ったり、わざと人の嫌がる事をやって困らせたりするすっごい『小悪党』な妖怪だろうが!何を英雄(ヒーロー)みたいに言ってんの?」

ぱんっ!
乾いた音が、彼の頬と私の掌が弾けたものだって気付いたのは、「ちゃん?!」と。隣で私たちの事をおろおろと窺い見ていたカナちゃんの声にハッとしてからだった。だけど私はさっきまでの言葉も、彼を叩いてしまった事も、謝るつもりなんて更々なかった。そんな気持ち、全然・・・浮かんでも来なかった。だから、

「私の信じているものを、貴方に否定される筋合いは無いわ。」

吐き捨てて。そうして、理解した。彼の発表を聞いてから消える事の無かった蟠り。その正体を知ってしまって、そんな自分を叱咤した。だけど、「でも、叩いてしまって・・・ごめんなさい。」叩いた事は謝っても、さっきまでの事を謝罪はしなかった。私はいつからこんな、心の狭いひとに、なってしまったんだろうか。






結局あれから皆と同じバスに乗る事も出来ないだろうと、次のバスが来るまでの30分を屋上で過ごそうと其処に居た私に「お嬢、」と声をかけたのは、鯉伴さん達のお目付け役・・・烏天狗さんの息子さん。三兄弟の長男「黒羽丸さん・・・、」だった。その彼は戸惑ったような表情を浮かべて私の元にバサリと降り立つと「お怪我は、」と。私の右手・・・さっき、清継くんを叩いた時の掌に触れて包んだ。それに困ったように、呟いた。

「見てたんですか・・・」
「す、すいません。ですが、」

言葉を詰まらせた彼に苦笑して、私の掌を未だ心配そうに包んでいる彼から「大丈夫です」とやんわりそれを振り解いて。「喧嘩なんて初めてです」とその場に座った私を前に、黒羽丸さんは無表情にほんの僅かな戸惑いを含ませた。

「・・・驚かれないのですか。」
「何をですか?」
「俺が・・・その、学校に・・・」

言われて。だけど直ぐに何の事を言われてるのか納得して「驚かないですよ」と返す。確かに、黒羽丸さんが私を見張って・・・は、言い方が悪いか。見守ってくれている事は知らなかったけど、でも「雪女さんも青田坊さんもいるし、・・・心配、してくれているんでしょう?」多分それを命じたであろう過保護な鯉伴さん達に僅かな呆れすら含めて言えば、黒羽丸さんは驚いたように目を見開いた。・・・たぶん、気付いてるとは思わなかったんだろうな。だけど、雪女さんは兎も角、青田坊さんは流石に気付くよ。あれだけ目立てば。
そして多分。あの2人は兎も角として。黒羽丸さんは、連絡係でもあるんだろうなあと納得して。だからこそ、いう。「でも、」

「内緒にしてね。」
「ですが、・・・全て報告するのが、義務です。」
「なら、いいです。」

戸惑いを孕んで返された言葉に、食い下がる事はしない。それが黒羽丸さんの仕事だって言う事は理解してるし、だから救われてる事もあるんだと思うから。だから、言わないでほしいとは思うけど。喧嘩した・・・っていうか。男の子を引っ叩いちゃった事以上に、その私が怒った理由を知られなくないんだけど・・・仕方ない。

そう思って彼から視線を逸らして屋上から見える景色に視線を移せば、「何故・・・」黒羽丸さんが、囁いた。それに何かと思って彼を仰ぎみれば、黒羽丸さんは・・・どうしてか顔を歪めて、だけどその言葉の先を続ける事はなかった。そんな彼の言葉を追及する程野暮出じゃないけど、・・・彼の方は恐らく、さっき言おうとしていた事とは別の事を、代わりに口にした。

「どうしてお嬢は、総大将を・・・鯉伴様を父と呼ばないのですか。」

それは、もう何度も問われた言葉だった。どうしてぬらりひょんさんをお爺ちゃんって呼ばないのか、どうして若菜さんをお母さんって呼ばないのか。どうして鯉伴さんをお父さんって呼ばないのか。理由は確かにあるけれど、それでも・・・それでもそれを口にする勇気なんてもの、私には全然なくて。だったら好い加減諦めれば良いのに。割り切ればいいのに。諦める事も割り切る事も出来ない、いつまでもうじうじうじうじしている自分が嫌になる。
そうして、暫くの沈黙の後。私から聞きたい答えは返って来ないだろう事を悟った黒羽丸さんは、す、と。私に右手を差し出した。

「今日は、俺が家まで送りましょう。」

そ、と。優しく微笑んだ。まるで子供に向けるその表情に安堵して。私はその手を取って立ち上がった。・・・私は、臆病者だ。
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