抱きしめ忘れた非日常
「真田さん」と。高校の靴箱の前で上履きに履き替えていた時に後ろから聞こえた声に振り替えれば、そこには一昨日私にお兄ちゃんに告白したいから手伝って(っていうか、お兄ちゃんに行かにその子が愛らしくて気が利く子かを吹聴して)って言って来た事、その子の周りを囲うように彼女の友達が数人いた。それに思わず顔が引き攣りそうになってしまったのを無理矢理堪えて、極めて笑顔で「おはよう」とは言ったけど・・・彼女達は「おはよう、真田さん」って返しながらも表情が怖い。・・・あぁ、これは。

「ねぇ真田さん、ちゃんとみっこの事よく言ってくれたの?」

きた。思った言葉は勿論口には出さなかったけど、その代わりに「い、言ったよ・・・?」と、後退りしたくなる気持ちに鞭言って応える。だけどそれに対して返される言葉も理不尽なもので「じゃぁ何でこんなに直ぐみっこが振らんのよ?」なんて言うものだった。・・・そもそも私、一昨日相談?された時も、お兄ちゃんは彼女とかそういうのより今は部活に専念したいって言ってるから難しいかもしれないよって言ったのに。それでもいいからどうしてもって言ったのは彼女の方なのに、どうして私が責められないといけないんだろうか。
思った私に気付いているのかいないのか・・・いや、間違いなく気付いてないだろう。さっきまで皆に守られるように俯いていたみっこと呼ばれた子が、ぽつりと呟いた。・・・しかも私、この人と面識ないんだよね、違うクラスだし。

「い、いいよ。真田さんが悪いわけじゃ、ないんだから・・・」

そう言いながら、声がどんどん涙ぐんで言ったそれを聞きながら。あ〜ぁ、と思った。庇ってるつもりなのかな。それとも、かばった振りして私の子と陥れようとしてるのかな。思わずそう思ってしまう程に今の状況は最悪だ。・・・何でよりによってこんな色んな人の通る下駄箱でそれ、言うのかな。・・・教室も嫌だけど。思って、だけどもう起こってしまった事に嘆息したくなるのを必死にこらえて私もまたぽつりと言った。

「・・・ごめん。私、お兄ちゃんにお弁当渡しに行かないといけないから。」

・・・どうして、お兄ちゃんに振られた八つ当たりを私が受けないといけないんだろう。私、お兄ちゃんの彼女でも何でもないのに。






元々。私はお兄ちゃんと同じ学校に入るつもりはなかった。中学の時も同じような事が何度もあったし、幸運にもその事で虐められる事とかはなかったけど、事あるごとに嫌な思いをして来た。それに、部活命のお兄ちゃんと違って私はどちらかというと勉強の方に力を入れていたから、正直この学校よりも偏差値が上の学校に通えたし、事実先生も強くそれを勧めてくれていたのに。


真田幸村。・・・サッカー部エースの、私の2つ上のお兄ちゃん。

今年で引退だからなんだと思う。勉強も受験生なだけあって今まで以上に頑張ってるけど、それ以上に最近は部活への力の入れようが凄かった。それもきっと、最近お兄ちゃんへの告白が増えている理由の一つなんだと思う。

お兄ちゃんは本当にいい人で、優しい人で。お父さんからもお母さんからも厳しい眼を向けられる私のこの髪を、綺麗だって言ってくれる。勉強はそこそこ出来る方で、部活でも大会で好成績を残してる。だけどお兄ちゃんの凄い所は、そう言う所じゃなくて、誰からも好かれる、誰もに優しく出来る、そういう人間性。誰にでも優しいのに、八方美人なんかじゃなくて、言うべき事はちゃんと厳しく言える。本当に、優しいお兄ちゃん。私とは大違いの、本当にいいお兄ちゃん。

そんなお兄ちゃんだから、お父さんもお母さんもお兄ちゃんが大好きで、よく、褒めた。
逆に、私の事は厳しい眼で見た。・・・この、髪が、1番の理由だった。

私の素行が悪いわけじゃない。所か、せめてと思って、学校生活も私生活も律して務めて真面目に過ごしてる。運動じゃお兄ちゃんには叶わないし、特別秀でているわけじゃないから、せめてと思って勉強を頑張った。絶対に私の事を褒めない親に、少しでもいいから穏やかな顔くらいは向けてもらいたかったから。その甲斐もあって、勉強はいつもクラスではトップだった。だから中学の先生も、これならレベルの高い高校に行けるって熱心に勧めて、勉強を見てくれていたのに。・・・だけど、お父さんの方が今のこの学校に入るようにと絶対に譲らなかった。


今の高校に入学して、数か月。
この学校は、成績的には中の上くらいの学校だった。ただ、家から近い事、悪い気風も、逆に華やかな校風も無い事。そしてお兄ちゃんがかよっている学校だからと、かたくなに譲らなかった。此処は、お兄ちゃんが第一志望で取った学校だった。自分の意志で決めた学校だった。成績はお兄ちゃんの成績とちょうど良かったし、何よりサッカー部の練習風景に胸を打たれたって言っていた。・・・お兄ちゃんはそう強く両親にお願いしてたけど、実際お兄ちゃんのお願いなら殆どの場合無条件に叶うのだ。

それに対して、私の要望は跳ねのけられる事が多い。私はお父さんにきっと、嫌われているから。

だからお父さんはあぁ言ったけど、でも1番はきっと、お兄ちゃんと成績の面で比較される事が嫌だったんだと思う。私が行きたいって行った学校は、お兄ちゃんの通ってる学校よりもずっと偏差値の高い学校だったから。私の方がレベルの高い学校に行く事が、嫌だったんだと思う。でもお父さんにも、惜しそうな顔をしながらも納得してしまったお母さんにも反対されてしまえば、私に反論の余地なんて無い。だって、結局は学費を払うのも交通費も払うのも全部、両親だから。ただお兄ちゃんだけが強く反論してくれた事だけは、忘れないでいようと思う。

         そんな理由で入学したこの学校には、未だ全く愛着はない。



3年の・・・お兄ちゃんのクラスのドアの近くにいた男の人に「あの、真田幸村いますか?」と問いかければ、その人は1度不思議そうな顔をしてから「え?・・・あぁ、」と納得したように声を上げて「妹ちゃんか。おーい真田ぁ!妹ちゃん来てんぞー」と、お兄ちゃんの事を呼んでくれた。そうすればそれに一拍遅れて「が?!」っていう、お兄ちゃんの溌剌とした明るい声に、ドタドタという駆けて来る足音。「!」

「どうしたのだ?わざわざ3年のクラスまで、」
「お兄ちゃん、お弁当忘れたでしょ。これ。」
「む?・・・は!!す、すまない。そう言えば持って来た記憶が御座らん・・・」

そう照れくさそうに笑って私からお弁当を受け取ったお兄ちゃんに「それじゃぁ、」と踵を返そうとした所で、後ろから僅かに焦ったような、だけど弾むようなよく通る声が響いた。「あ、!」

「今日は一緒に帰らぬか?」
「今日・・・?お兄ちゃん、部活は?」
「今日は休みなのだ。・・・ダメか?」
「ううん、いいよ。」
「ま、まことか!それじゃあ放課後、迎えに行く。」

ふ、と。優しく笑んだ顔はどう見たって格好いい。これは、確かに・・・好きになっちゃうよなあなんて考えながら。「うん、待ってる。」そう答えた私の頭を、髪が乱れない程の優しさと強さでもって撫でてくれたお兄ちゃんの事が、それでも私も好きだった。
「全く。優等生の真田が居眠りなんて、どうしたんだ一体。」

放課後。職員室に初めて呼び出しをされた私は、これまた初めてその中で叱られると言う出来事に直面していた。目の前で腕を組んで座る先生の様子は怒っていると言うよりはどちらかというと呆れたような、困った風な顔で。それだけが唯一の救いだと思いながら「すいません・・・」と小さくなって謝った。お兄ちゃんにはメールでこの事を教えたら待っててくれるって言ってたけど、・・・ごめん、お兄ちゃん。もうちょっと待ってて。

最近あの夢の所為で全然眠れないし、眠れてもあぁだから睡眠不足になっていたのは否めないけど・・・まさか授業中に居眠りをした挙句、悲鳴を上げて起きるなんて。本当最悪としか言いようがない。お陰であの授業はずっと先生に厳しく当たられたし、クラス中にひそひそ笑われるし。自業自得名だけに文句は言えないんだけど。      でも、

もう、届く。

思って、ゾッとした。徐々に近づいていたあの獣達が、眼と鼻の先にまで迫っていた。それに、と。あの夢を思い出す。あの時。逃げなきゃ、逃げなきゃ、と。強迫観念にも似た焦燥を感じた。相変わらず足は地面に縫いとめられているように動かなくて、だけど頭上からまるで落ちてくるような殺意を感じて、初めて身動きが出来た。仰ぎ見た頭上には、鳥がいた。その鳥もまた巨大で、爪も牙も鋭く研がれた、異形のものだった。眼が覚めたのは、その鳥の足の爪が私の身体を貫く直前だった。・・・もし、次。

眠ったら。夢を見たら、どうなってしまうんだろう。
夢を見た瞬間、私の身体は間違いなく貫かれている。あの鋭い爪に貫かれて、あの鋭い牙に貪り食われている。たかが夢、って思うのに。それを信じきれない自分がいる。そんな自分自身にしっかりしろって何度言い聞かせても意味がない。・・・私は、

「聞いてるのか、真田!」
「っ、は、はい!」

その僅かに怒りの籠った大きい声に、ハッと我に帰る。あぁ、今は夢の事よりも、今の事を考えた方がいいかもしれない。






             
そこにたどり着けば、さぁ、と。潮の香りを風が運んだ。す、と。地に付いた足は導かれるように動き、今か今かとその瞬間(・・・・)を渇望している。どうりで、いくら"あちら"を探してもいない筈だ。四角い建物に、四角い部屋が無数に隣接する見た事も無い建物の中。この中に、確かにいるのだ。さらり。橙色の髪が風に流れて頬を撫ぜた。あぁ、だけど、急がなきゃ。奴等がその方を見つけるその前に。早く、早く、はやく。・・・あぁだけど、嬉しくて堪らない。

王気に導かれるまま歩んだその先。間違えようもないその存在。僅かに開いたドアの隙間に、その方は、いた。「・・・見つけた。」
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