アレキサンドラの瞳
ふぁ、と。今朝の事で眠気が冷めない瞼を擦りながら、ようやっと授業から解放されて今は家へ帰る途中の通学路。家長さん達は奴良くんのお見舞いに言ったけど、私は新しい制服を買わないとあかんかったから今は1人で左手に紙袋をぶら下げて歩いている。せやけど何とはなしに右手で湿布の貼られた頬に触れれば、自分のふがいなさを思い知らされるようで、思わずぱんっとその頬を打つ。あかんあかん。こんな弱気なってたらあかん。もっと強くなって、あの妖怪の主を倒すんや。その為にももっと修行積んで、強くならな・・・

思った時。不意に、左にある公園に目が行った。気持ちと一緒に急いた歩みが、その公園の中。ブランコに座るさんを見付けて僅かに緩んだ。・・・私が未熟な所為で叱られて、依頼少しの苦手意識みたいなもんが生まれてしもうたけど・・・でも、それは道理違いや。あれは私が悪かったし、それをさんは教えてくれたんやから。・・・・・・そう、思うんやけど。上手くいかんわ。それに一息吐いて、取り敢えず今日は帰ろうと再び視線を前へ移した、時。

視界の中に、赤が、映った。      それは何処までも紅く、鮮やかな、霊だった。茶色い髪と額に巻いた紅い紐を靡かせた、全身を紅い服で覆った、霊。死んで尚この世に留まる、「!?悪霊?!」言うが早いか。私はそのままその公園の中へ駆けると、周りに子供がいないのを確認してから即座にジャージのポケットから札を取りだす。ドサッと左手から制服の入った紙袋を落として、右手で掴んだ札をその霊に向けて翳した。

「悪霊、退さー・・・」

言葉の、最中。その先にいた霊が振り返ると同時かそれより早く、巨大な影が、背後からかかって来た。それに何かと思うよりも先に、全身からぶわっと汗が噴き出した。その汗が生まれた正体も何も分からへんかったけど、それでも、それに後ろを振り返る事も逃げる事も出来ん程の、『なにか』。だけど確かに感じる風と、そして理解不能の"終わった"っていう感覚。・・・そうして。その感覚にようやく、この嫌な汗が噴き出した理由の正体を知った瞬間に響いた、音。

殿!!
ギィィイイン!!

聞こえたのは、2つの音だった。1つは、酷く焦ったように発せられた、若い男性の声。それは私に気付いて振り返った霊が冷や汗すら浮かべて叫んだ、クラスメイトの名前。そうしてもう1つは、酷く不快な金属音。それを認識してからようやく、私が今地面に座り込んでいる事実に気付いた。気付いて、顔を上げれば、私の目の前に背を向けて立つ、男。      白銀が僅かに茶色味がかった長い髪に、黒い着物と赤い羽織。首周りに巻かれた、三又に分かれた尾を持つ狼のようなもの。その後ろ姿は、酷く今朝の妖怪の主を彷彿とさせた。

私はこの男に、突き飛ばされたんや。でもそれに文句なんて出ようはずも無く。私は私を庇うように私の前に立ち塞がって、今も尚ギ、ギギ・・・ギと、金属同士がこすれ合う音を発する刀と、そして・・・

「?退いた方がいいよ?怪我しちゃうから。」

今まさにその刀に、両腕を広げた程の大きさのある巨大な手裏剣を押し合わせている、ひと。それを、ただ、見ていた。信じられない程の優しさでもってその言葉を発したのは、さっきまでブランコで静かに空を見上げていた、さんだった。

あん時。・・・私があの紅い霊に札を向けようとした直後。あの巨大な手裏剣は、何の迷いも無く私の首に向けられていた。それを今目の前にいる男が、私を突き飛ばして自身の刀でもってそれを受け止めたんや。それに唖然とその男の背中と、そしてその背中の横から見えるさんの穏やかな顔を見上げている私の目の前。男が、言った。

「お前がそれ退けんなら、いくらでも退いてやるわい。」
「そっか。それじゃあ怪我しちゃっても仕方がないね。」

にこり、と。この場には酷く似つかわない朗らかで、穏やかな顔、声、雰囲気。さんの全身から発せられるその不自然な程の"自然体"が、最低に薄気味悪く感じてしまう。そして、それを言った後は、本当に、ひどく、簡単な動作でもってさんは男の刀を弾いて見せた。そうしてから巨大な手裏剣でその刀の鍔付近の刀身に向けて振り翳して、ガンッ!!と音を立てて叩き付けるようにして刀を男の手から弾き飛ばした。

せやけど、男の方もそれに動じんかった。弾かれた刀が数メートル先で地面に突き刺さったのに視線を向ける事すらせずに、そのまま私に向けて手裏剣を振りおろそうとしたさんの細い手首をぐ、と掴み上げた。それにさんは相変わらずの笑顔で、でも、今度はその視線を私から逸らす事無く、言った。

「邪魔しないでね、って言ったつもりだったんだけどな。」
「止めろ、って言ったつもりだったんじゃがのぅ。」

ただただ穏やかなばかりの、悪意なんて欠片も無いさんの視線が、私を射抜く。どうして。鋭さなんてまるで感じられんのに、それなのに、その目は確かに私を射抜いていて。どうして、なにが。こんな・・・殺気すら感じられない殺意を向けられる程の何を、私はしてしまったのか。何がさんの逆鱗に触れたのか。全く、分からへんかった。だから「私は止めないよ。だってその子、私のお友達を殺そうとしたんだもの」っていうさんの言葉は、全く・・・想像もしていなかった言葉で。

それでも、この表情と雰囲気からは考えられへん程の、ゾッと背筋が凍りつく程の冷たく冷え切った声に凍りついた。それを真正面で受け止めた、この男の人は、今、どんな心地なんやろうかと思ってまた肝を冷やす。そんな、ただただ透き通った声に、微動だに出来ない私達に、さんはその声を変える事無く、その音を、吐き出す。

「なにか悪い事をしたからって殺されちゃうのだって許せないのに、なんにも悪い事をしてないのに出会い頭に殺そうとするなんて、通り魔みたいなものだもの。そんなの、殺されちゃっても仕方がない。そうでしょう?」

その問いは、私に言われた言葉だった。それに「そんな、私は」と声を上げれば、それだけで全てを分かったように表情を緩めて見せたさんはだけど。「殺される覚悟の無い人間がひとを殺そうなんて、一体何様なのかな?」と、続けられたその声は、さっきから全く変化の兆しすら見せなかった。
・・・と。其処まで言い切ってから、さんは「大体、」と。さっきまでとは違うトーンでもって息を吐くように言った。

「シャーマンが持霊を持つのなんて当り前でしょう?その持霊を殺そうとするなんて、そのシャーマンに喧嘩を売っているも同じだよ。あぁ、そのシャーマンを殺そうとしているも同じ、かな。やり返されて道理の事だよ。」

その「しゃ、しゃーまん?」と、言われた言葉に、記憶の引き出しを探る。だけど何処にもヒットせぇへん単語に「何言ってるん?」と戸惑いを含めて問いかければ、だけどさんは「君は陰陽師なのに、シャーマンの事も知らないの?」と。フ。息を吐いて、まるで小さな子どもの無知を目の当たりにしたような、そんな顔を作って、男の方に目を向けた。

「もう放していいよ。幸村くんが止めてって顔してるから、もうしないよ。」

そう言ったさんに、男の方はジ、と。さんの事を見てから、せやけど直ぐにふ、と息を吐いてさんの腕を放した。そうすればさんは呆気ない程簡単に手裏剣を降ろして・・・その瞬間。その手裏剣はふ、と手の平サイズの小さいそれに変わっていた。それに唖然とする私の目の前で、手裏剣の大きさが変わると同時にさんの斜め後ろに現れた緑の迷彩柄の不思議な・・・忍び装束の様な服を着た男が、す、と人差し指を口元に当てた。・・・その男もまた、幽霊に他ならなかった。

この数分の間に次から次に起こる現象に、眼を瞬かせてさんを見上げる。そんな私に、やっぱりさんは穏やかに言うんや。「花開院はシャーマンの事も忘れてしまったの?それとも、単に無知なだけなのかな?」と。その続けられた言葉に「ッ」と言葉を詰まらせた私に、「殿っ」と窘めるように声を上げたのは、さっきの紅い霊だった。・・・自分を、・・・さん曰く、殺そうとした私に対して、どうしてこんな気遣うような事言ってくれるんや、と。今になって、さっきの自分を後悔した。

なんや、私。結局あの奴良くんの家の事から、なんも変わってへんやん。思えば、自然とグと歯を食いしばって拳を握っていた。そんな私を見下ろしながら、さんは未だに地面に置いたままだった私の右手を取って、上に引っ張って私を立たせてにこりと笑んだ。

「私はシャーマン。この2人は私の持霊。忍者の子は猿飛佐助くんで、君が殺そうとした子は真田幸村くん。」

まるで、さっきまでの事が嘘か夢だったみたいにそう、何でも無い事のようにそう言ったさんに続けるように「どーも」「真田幸村で御座る」と、それぞれに私にそう言った2人の・・・幽霊。それに「もちれい・・・?っていうか、猿飛佐助と真田幸村って、・・・あの?!」と、言いながらハッとしてバッとその2人を仰ぎみれば、さんは可笑しそうに「うん。きっと、その"あの"2人だと思うよ。」なんて続けたけど・・・信じられへん。

歴史とかそんな得意じゃないけど、真田幸村っちゅーたら超有名な戦国武将やし、猿飛佐助だって有名な忍者や。本当にいるとは思ってへんかったけど、・・・嘘やん。信じられへん。いや、でもさんが嘘吐くとも思えんし・・・なんて。思いながら、今度はチラリと私の事を守ってくれた男の方を見る。・・・やっぱり、似とる。昨日の妖怪の主に瓜二つ・・・っていうか、アイツが成長した感じの外見。それを思ってジ、と男の事を見上げていれば、男の方はニッていう笑みを作るだけで何も言わんかった。・・・が。

それより今はさんとシャーマンって奴の事やと思考を切り替える。第一、本当にこの2人が猿飛佐助と真田幸村だとするんなら、尚更一体シャーマンって何者なんやろうと、そう思った私に気付いたのかどうなのか。「まぁ、」とさんが続ける。

「気になるなら竜二くんにでも聞いてみるといいよ。」
「え、・・・?さん、兄貴と知り合いなん?」
「だぁい好きなお友達だよ。良い子だよね、竜二くん。」
「良い子?!ちょ、兄貴に聞くなんて冗談じゃないわ!さん今教えて「なにか、勘違いをしているみたいだけれど、」

兄貴の事を大好きだと。全く持って信じられへん事をご機嫌に話していたのとは、まるで結びつかない表情を、一瞬にして作った。それに、気付く。やっぱり、無かった事になんて、まるでなってへんかったんや、と。さっきのあのさんの何でもない笑顔は、さんなりの、突き離し方やったんやと。だから、「私は君にそれを教えてあげようとは思わない。」そう続けられたさんの声は、信じられない程に、暗く冷たい。

「今日は幸村くんが止めてって顔をしたから、見逃してあげるよ。だけど、私のお友達を殺そうとした事は許してあげないからね。だから、もう、次はないよ。」

一字一句。ゆったりと。まるで幼い子供にいい含めるかのような。それでいて、酷い、残酷な、脅しをかけるような、そんな、音。そう思った私の思考に間違いは無く、さんは正しく「もしも次、おんなじことをしたら、その時は誰に嫌だって言われても、本当に殺しちゃうからね。」と、そう。釘を、刺した。

「私は君が嫌いだよ。大切なお友達を殺そうとした人を好きになってあげる理由はないからね。」

どうしてこんな・・・この世の闇の全てを詰め込んだような声を、眼を。こんなにも穏やかに、何処までも限りない程の優しく、語れるんだろう。さんは、もう私を見ていなかった。隣にいる男の右手をきゅっと握って踵を返して歩き出して、そうして思い出したように私を振り返って、・・・最後。今日、1番に明るく、きらきらと弾けるような笑みを作って言った。

「だぁい嫌い。」

にこり。それは、だいすきと。そう言った顔と、全く同じ顔だった。悪意の無い、誰かを好きと言った全く同じ顔で、誰かを嫌いだという。私はようやく。初めて、と言う人間の闇と恐ろしさを知った。
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