影が並んだ
さぁ、と。昼間より冷やされた夜の風が肌を撫でて、髪を浚う。顔にかかった髪を耳にかけると、この風に流されてきた鉄臭いにおいに目を細めて踵を返す。じゃり、と。地面を靴が踏みならす音と一緒に、僅かに遠い距離から聞こえる低い呻き声。折角良いお天気で星が瞬いているのに、災難だったなあなんて。けれど自業自得とは言え、もっと災難な目にあってしまった"彼等"に声だけを向けた。「もう夜も遅い。リクオくんと待ち合わせをしてるんでしょ?遅れちゃいけないからもう帰りなよ。」

「見逃してあげる。」

見下ろして、言った言葉にその妖怪たちは一目散に傷を庇いながらその場を去って行った。そんな後ろ姿を見送りながら、私は随分と遠くの方で感じる式神の気配に花開院さんかな?なんて思いながら、込み上げた笑みを隠す事無くくすくすと笑った。それに幸村くんが不思議そうな眼を向けたのを感じながら、眼を細めた。

「旧鼠組かあ・・・さぁて。リクオくんはどう出るのかな?楽しみだね。」
「おめぇらは・・・俺の"下"にいる資格もねぇ。」

それは静かで、けれど鋭い音となって鼓膜を揺らした。その場所は決して静かな場所ではなかった筈なのに、まるで、彼の声だけが特別な場所で、そっと静かに囁かれ、響いた。

「奥義、明鏡止水"桜"」

旧鼠くんの巨体が、轟々と燃え盛る炎に包まれた。ぼろり、ぼろり。
彼の身体を、存在を構成する全てが脆く崩れ去る。

「その波紋鳴りやむまで、全てを・・・燃やし続けるぞ。」

業火に焼かれて、塵々に砕けて灰と消える、旧鼠くんの畏。そんな赤く赤く燃えるその場所で、そっと盃を揺らす彼に、思い出す。あぁ本当に、彼は鯉伴くんの子供なんだなあ、と。そんなささやかな喜びに破顔した。直ぐそこで、1つの組織の命は死んでしまうのだけど。あぁでも。ほんの一欠片の情けすら見せない彼の声は何処までも熱くて、冷たさの欠片も感じられなかった。

「夜明けと共に塵となれ」






「ふふっ。格好いいね、リクオくん。もうすっかり三代目の貫禄を背負ってる。」

リクオくん達が戦っている・・・いや、戦っていた場所を見下ろしながら、私は背中を乗せていた柵から離れてこのビルの床の段になっている縁に上って目を細めた。それを見て佐助くんがからかうように「落ちないでよねー」なんて言って来たけど、勿論落ちないよとは心の中だけで返しておいた。と。そんな私の背中を柵の内側から見ていた幸村くんが、窺うようにひそりと声を出した。

殿、・・・あれは、」
「うん、気付いてるよ。」

幸村くんが言っているのは、私達のいるビルより少し低い、何件か離れた場所にあるビルの屋上にいる人・・・妖怪達の事だ。3人組で並んでいるその人達は、けれど時期に2人だけその場から離れて1人だけがただジッとリクオくん達の事を見下ろしている。そんな彼等に見つからないように初めから気配は消していたけれど・・・私はその"彼"を見て眼を細めた。

「あれは牛鬼組の牛鬼くんだね。」
「牛鬼、組?」
「旦那、牛鬼組ってのは奴良組の傘下に入ってる組織だよ。その中でも牛鬼って男は牛の歩みって言われるほど思慮深い、幹部を任せられてる奴だ。幻術を使った戦いを得意としてるらしいけど、剣術でも高い能力を持ってるらしい。」

私の言葉に宇宙語でも聞いたみたいな不思議な顔をした幸村くんに、テストの答案に描けば100点満点をあげちゃいたいくらいの説明をした佐助くんを「あはは、流石佐助くん。良く調べてるね、正解だよ」って褒めてあげたら、「そーよ、俺様頑張ってんのよ」なんて返した佐助くんに「えらいえらい」と笑った。だけどそんな私達の傍らで、幸村くんだけが冴えない顔で俯いてしまった。

殿、・・・しかし、あの様子・・・まさか牛鬼殿が此度の旧鼠組との抗争を?」
「そう言う事だろうね。でも多分、彼のは私利私欲の為って言うより、・・・」

言いながら、けれど込み上げて着た笑いを堪える事も無く「ふふっ」と息と一緒に吹き出した。それに怪訝な顔を向ける佐助くんと、不思議そうに瞬いた幸村くんに笑んでから、1度リクオくん達のいる場所から牛鬼くんのいる場所に視線を移した。そうしてからまた幸村くんと佐助くんに視線を戻すと、す、と人差し指を立てた。

「ちょっと、話してみよっか。」
「は?」
「?」

言って。そうして「2人はちゃんと隠れていてね」と言ってから、2人がそれに返事をするより先に牛鬼くんの方に向き直る。そうしてから今まで消していた気配をふ、と出して。それに    急に近くに現れた気配に    驚いたみたいに私の方を仰ぎ見た牛鬼くんに、ひらひらと手を振ってにこにこと笑んで見せた。その時には既に幸村くんも佐助くんも(慌てて)姿を暗ませていて、2人の優秀さに心の中だけで拍手を送ってあげたりしたのだけど。片や牛鬼くんの方は警戒心を向きだにして、私のいるビルまで一飛びでくると、相変わらずのその表情のまま私と一定の距離を保ったまま、言った。

「・・・貴方は、」
「久しぶりだね。私の事は知っているでしょう?ぬらくんと鯉伴くんのお友達で、今はリクオくんのクラスメイトのだよ。」
「そんな筈は・・ッ、死んだ筈だ。・・・死んでいる筈だ、それが、・・・いや、今はそれより。」

そこで言葉を切った牛鬼くんにぱちりと瞬いて、だけどその刹那に向けられた鋭い眼光に、今度は2度瞬きをしてしまった。ぱちぱち、そう睫毛を上下させた私を見据える牛鬼くんのその視線には殺意すら篭っていて。彼はその瞳をそのままに、続けた。

「我らを、・・・いや。リクオ様達を、見ておられたのか。」
「見ていたよ。リクオくんの事も、牛鬼くん達がが悪巧みしてる所もね。」

言った刹那。ひゅ、と。刀が風を切る音が耳元に流れた。そうして直ぐに感じるのは、首に触れる刀の温度。ひやりと冷たい刃先が首に食い込んで、あと僅かな力が加われば薄い皮を破るだろう事が分かった。それに目を細めて笑んだ私を牛鬼くんが凄い眼光で睨み据えてくるものだから、思わず噴き出して笑ってしまった。「ふはっ」

「あは、あはははっ」
「・・・気でも触れたか。何が可笑しい。」
「ごめんごめん、だけど、・・ふふっ、でも、君は本当に奴良組が大好きなんだね。」

「なに?」ぶつり。笑った拍子に刀が食い込んで切れちゃったけど、まぁ命に関わる程は切れていないし、まぁ多少深くざっくり刺さっても、即死しない限りは自分で何とか出来るからそれも気にせずに、未だ胡乱な目を向ける牛鬼くんに向き直る。・・・あぁでも、洋服が汚れちゃうのはなあ、困っちゃうかもね「奴良組が好きで好きで仕方ないんだね。なら、」

ふ、と。目を閉じて、そうして開いた瞼の奥で見える彼に「最後まで見届けると良い」と続けて笑めば、牛鬼くんは困惑したように瞳を揺らして「な、にを・・・?」と声もまた揺らした。あぁ、本当。きっとこんなお友達を持てたぬらくんは、幸せ者なんだろうなあ。

「君の眼で見て、考えて、そうして見届けると良い。そうして出した答えを信じるも信じないも君次第だよ、勝手にすればいい。」
「貴方は・・・、私を、止めないのか。」
「止める?どうして?」
「貴方はあの方達の・・・総大将の友人だろう?!なのに、何故ッ」

このビルの下にはまだリクオくん達だっているのに、それも忘れて声を擦り切らせて叫ぶ彼は今、もう迷ってはいないのだと、分かる。自分が今日した事、これからする事、これから自分に向けられるあらゆるもの。いろんな事。覚悟なしではいられない全てをもう、迷わずに受け入れる覚悟をもう持ってしまっている。だからもう、言う事なんてなんにもない。彼だって、言って欲しい事なんてもう今更なんにもないんだろう。

「君は、ぬらくんと鯉伴くんの愛した奴良組を愛しているんでしょう?なら、それだけで十分。私が君を止める理由なんて無いよ。」



(この、方は。)
目の前で、ただただ透明な瞳で私を、まるで美しい風景に視線を滑らせるように。まるで、母が子を見守るかのように。そんな、およそ私に向けるには相応しくない目で見る彼女に、自然と、彼女の首に宛てたままでいた刀の切っ先が、僅かに外れた。

「壊すも守るも好きにすると良い。正解も不正解も、結局は終わってみなければ本人には分からないのだからね。なら、今、正解だと信じている事をすればいい。・・・君は、嫌だと思う事をいやいやしているわけではないのだから。だから、私は止めないよ。」

きっと彼女は、全てを知っているのだろう。私が今日した事も、これから行おうとしている事も。それでもきっと彼女は、本当に止めないのだろう。それを正しく理解して、私が1度瞬いた、刹那の、事。

「私は、2人の事が大好きだからね。」

その、言葉は。後ろから、聞こえてきたのだ。
それに正面にいた筈の彼女を仰ぎみても、其処にあるのは私の刀の切っ先だけで、誰もいない。刀には、血の一滴すら、付着していない。その事実に唖然としている私の直ぐ間後ろで「ただ、」という声。そして、

「ただ、やった事の責任だけは取らないといけないよ。それが、力のある人なら尚の事。」

そして首筋に当てられる、何か。それは、刀のように鋭くも、冷たくも無い。人の体温のある、何か。
それを感じながら恐る恐る身体を後ろに向ければ、容易く分かった。首に当てられたのは、彼女の、指。だった。人差し指と中指を立て合わせ、首筋にひたりと当てられていた。それを見て些か拍子抜けしてしまった私に、彼女はにこりと笑んでその指を放すと、その指の形を人差し指と親指を立てる形に変えた。それは良く見る、銃に見立てた形で、それを私の額に向け、言った。

「それじゃぁまたね、牛鬼くん。」

ほんの一欠けらの恐怖すら感じさせなかった、彼女。私はそれに、恐怖を感じた。あんな、いとも容易く私を殺せるのだと、そう、暗に言われたようなものだ。なのに、どうして私はあの時、何も感じなかったのか。彼女に殺意があるかないか等、問題ではない。この、私の実力を持っても、ほんの些細な抵抗すら出来なかった。その事実に恐怖心を感じて、しかるべきであったというのに。

「ふ、・・ふふ、成る程。流石、総大将の・・・、」

込み上げた笑いはけれど引き攣って、それでも何故か不快ではなった。彼女が何を考え、何を思い行動をするのか。しかし彼女は恐らく私の邪魔はしないだろうと、それを思い安堵もした。そして考える、彼女が私の前に現れた理由。あの瞬間まで見事に気配を殺していた彼女が、あぁもあっさりその気配を出したのは、私に気付かれたかった・・・いや、気付かせる為だったのだろう。

何故、と。考えて、1つだけ、思い浮かぶのは      、私はもう、引き返せはしない。だが、引き返せないから、引き返さないのではないのだ。・・・まるでそれを再確認させる為に私の前に現れてくれたような・・・いや、考え過ぎか。
<< Back Date::110929 Next >>