どこにもない場所へ
学校をサボってこの浮世絵町っていう街を一通り回ってから、私は最後に必ず行こうと決めていたぬらくんの家に遊びに来た。ぬらくんとはもう随分前からの知り合いで、だけどこの家の人・・・いや。妖怪たちは私の事を知ってる妖怪の方が少ないだろうから、こっそり塀を乗り越えて勝手にぬらくんのいるお部屋まで忍びこんじゃったんだけど・・・。ぬらくんは兎も角、リクオくんも一緒に居たから吃驚しちゃっただろうなあ。なんて。そんな事を思いながら、目の前のぬらくんとの会話に華を咲かせる。

「そう、じゃあ朝の子は雪麗さんの子供だったのね。」
「おお!奴も美人じゃったが、麗も将来有望じゃろう?リクオの自慢の百鬼夜行の1人じゃ!!」

そう、まるで自分の事みたいに嬉しそうに、楽しそうに話すぬらくんに「ふふっ」と笑う。そうすれば不思議そうに眼を丸めて首を傾げて見せたぬらくんは「?なんじゃい、行き成り笑いだして」なんて問うてきたから、私もまた「ううん」と言ってにこりと笑う。

「ただ、さっきまでの姿も素敵だけれど、やっぱり今の姿も格好いいなあって。」
「そうじゃろう。ワシ、格好いいじゃろう?しかしさっきまでのジジの姿の魅力が分かるとは、流石じゃのう。」

そう言って不敵に笑む姿は、さっきまでのおじいちゃんの姿とは似ても似つかない(って言ったら悪いなあ)、とてもハンサムな色男。逆毛た銀色の髪をさらさらと靡かせた青年の姿は、まさに1000年生きる大妖怪の威厳を全身から醸し出している。なのにそれを相殺できるくらいの優しく穏やかな表情は、さっきまでのぬらくんの姿しか知らない人にはどうあっても結びつける事は出来ないだろうけど。

だけど知ってる人も知らない人も吃驚するだろうなあ。ぬらくん、こっちの姿の方が本当なのに、さっきまでずっとおじいちゃんの姿でいたって言ってたから。でも、あの姿でいた理由が別に困らないし、いざばらした時の皆の顔が見たいからなんて。そういうお茶目な所は全然変わって無くて安心した。そんな事を思ってさっき若菜さんに持ってきて貰った日本酒を啜ってから。「・・・でも、」と、眼を伏せる。

「その思い出の中に、鯉伴くんはいないのね。」
「・・・         、」
「隠さなくても良いよ。この街に入った時から感じてた。」

この家に忍びこんでからもう数時間が立った。お互いに絶える事無い話題に花を咲かせて、それでも。ぬらくんがずっとひた隠しにしていた、触れようとしなかったひとが、いた。きっと、誰よりも自慢したい筈の、ぬらくんと、珱姫の、たった1人の、ひとり息子。私の、・・・思ったところで、眼を閉じて唇を噛んだぬらくんに、口元だけで笑みを作った。

「この場所には、鯉伴くんの生きている体温が無い。」

この街に来て、本当は1番に会いたいひとだった。ぬらくんの口から聞かされた沢山の孫自慢に、思い出話。本当は、鯉伴くんの口から、聞きたかった。鯉伴くんの口から聞いて、ぬらくんはそんな鯉伴くんを茶化しながら、私も色んな今までを話して。そうして3人で飲み明かして。それから今度、リクオくんも交えて一緒にお話をしたかった。そんな未来が、欲しかった。だけど、

「・・・もう10年程前じゃ。何も出来んかった。」
「仕方が無いよ。いつだって人は、死に対して無力だもの。」
「しかし、」
「人は死ぬ生き物だものだよ。」

そう、残念な事に。幸福な事に。
ひとは、あやかしは、死ぬ事が出来る、生き物だった。

「人間も、怪も。生きてる限り、皆死ぬ。霊だって死んでしまう世界だもの。不死身の超人なんて何処にもいない。鯉伴くんは・・・それが偶々、殺害って言う理由で、普通よりも遥かに早い時間に死んでしまった。ただ、それだけの事だわ。」

それでも、心はそれを、簡単に受け入れてはくれないけれど。思って。私は盃に残るお酒をそのまま一気に仰いで立ち上がる。それに「もう帰るのか?」と、さっきまでの雰囲気を一切消して不思議そうに首を傾げた彼ににこりと笑んだ。

「お線香は・・・いらないね。かわりにとっておきのお酒を置いて行くわ。」
「!なんと!!」
「飲んでも良いよ。お供え物は、最後は人が口にするのが礼儀だからね。ただし、」

言って。唯一持ってきていた鞄の中身。
酒瓶を1本ことっと畳みの上に置くと、私は伸びをして障子を開けた。そうして廊下に数歩歩いて見える月を見上げながら。その月を移す池に笑んで、奴良くんを振り返ってそっと唇に人差し指を当て笑んだ。


「ちゃんと鯉伴くんが飲んでからね。」









「さっきの、只の人じゃないよね?」

音も無く。この任侠妖怪達の住む奴良家の廊下を進みながら。だけど私は裸足である事も気にせずにその廊下から外の庭に降りると、そのまま真っ直ぐに目的地に向けて歩みを進める。こんな所、ちょっと気の短い私を知らない妖怪に見られでもしたら敵意むき出しで襲いかかられそうだなあとも思うけど、それも気にしない。
そうして遠慮なく奴良家の敷地を進む最中に「あの人、俺様に気付いてた」と。ぬらくんのお友達より先に警戒心を剥き出しにして吐き出した、さっきまで天井裏に潜んでいた佐助くんの言葉に、ふ、と息を吐く。確かに、ぬらくんは"只の人"じゃ、ないけどね。

「でも、幽霊でもない。」
「・・・つまり?」
「妖怪って呼ばれるもの。霊より霊力があって、霊より人に近い場所にいるモノ。」

良いモノも、悪いモノもいる。人間とは違うけど、でも、同じようなものだよ、と。そう言ってじゃりじゃりと砂利を踏み締めながら、けれどこの場所そのものに不快感を抱いてるだろう佐助くんはその感情を隠す事も無く露骨に嫌そうな顔を浮かべたまま「用が済んだんならとっとと帰ろうぜ、旦那も待ってる」なんて言って見せたものだから、私はふはっ、と吹き出して笑ってしまった。

「どうしたの?随分ご機嫌斜めだね。」
「当り前でしょ。何此処、すっごい気持ち悪いんだけど。」
「あはは。まぁそれは仕方ないよ。此処に居るのは殆どがぬらくんのお友達だからね。」
「・・・妖怪、って事?」

ひくり。引き攣った顔で問われた言葉に「うん、そうだよ」と朗らかに笑めば、げぇっと顔を歪められる。そんな露骨な態度に今度は声を出して笑ってしまったけど、佐助くんにしてみれば本当に冗談じゃないんだろうなあ。只でさえ他の気配に敏感な上に、"これだけ大量の"異質な気配があれば、慣れない内はそりゃあ不快だろうなあなんて他人事に思う。でもきっと幸村くんならなんと!かような者がこの世にはおられるのか?!なんて、きらきらした目で感動してくれそうなものだけどなあ・・・

でもせっかくの機会なのに幸村くん、お散歩行っちゃったしなあ・・・明日の朝までには戻ってきてねって言っておいたから大丈夫だとは思うけど。なんて思ってから。私は私の後ろを、それでも大人しく着いて来てくれる佐助くんに、言う。「でも、」ごめんね。

「用なら、あるよ。」
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