まずはシャーリー・テンプルから
1998年12月23日。
ヨルビアン大陸西海岸の都市、ヨークシンシティの片隅にある、人通りの殆ど無い薄暗い路地裏にある小さな喫茶店。その店の扉を開ければ、とたんにふわりと広がる珈琲の香りと静かに流れるしゃれたジャズの音、そして店員の声が出迎える。1歩入ればそんな音の中に紛れる新聞を開く音、ささやかな談笑の音、キーボードを打つ音。コップや皿の音に、コポコポと音を立てるサイフォン。店内を見渡せば落ち着いた照明にお洒落なアンティーク、そして棚には様々な古書が並んでいる。

そんな店内でコトリ。常連さんが毎回頼んでくれる、日替わりデザートたっぷりの生クリームを添えた珈琲マーブルシフォンを席に置く。それにお礼の一言も無く早々にフォークを取って食べ始めた常連さんを見て、ふ、と。呟く。

「そう言えば私、ハンター試験っていうの受ける事になったんです。」
「・・・・・・・・・は?」

常連さんにそれを告げれば、何言ってんだコイツ。みたいに、元々そんなに良くない目つきを更に細めて悪くした目を向けられた。だから私はさっきマスターに休憩を貰ったのをいい事に、ケーキと一緒に持って来ていた私用のお昼ご飯      とろとろ卵のオムライス      を置いて彼の前に座る。それにあからさまに鬱陶しそうな眼を向けられたけど、これもいつもの事で、文句を言われなかったって事は遠まわしなOKサインだって理解して、話しを続ける。・・・事の顛末は、3日前にまでさかのぼる。
1998年12月20日の午後2時10分。賄いのお昼御飯をご馳走になってから、「おつかれさまでしたー」と70歳近くのマスターと40代半ばのパートのおばさんに頭を下げて喫茶店から出た。今日は早番でお昼までのシフトだったから、今朝マスターから貰った赤ワインを手に最寄りのデパートに向かう。今日はこのワインと、この間作り置きしておいたドミグラスソースを使ってビーフシチューを作るって決めてたから、牛肉とマッシュルームと、うーん・・・ローリエは家にあったから・・・あ、バゲットも買って帰ろう。

そんな夜ごはんの計画を立てながら、だけど昨日の事を思い出せば自然と溜息が洩れた。はぁ。溜息の原因は、全くとして上手くいかない就職活動だ。・・・本当に、世知辛いなあ。思えば肩まで落ちて来る。戸籍って・・・大事だったんだなあ。知ってたけど、改めてそう思ってしまう。あと学歴も。確かに、私だって『私戸籍持ってません』なんて人がいたらまず(え、大丈夫かなこの人?)って思うもんなあ。

でも、本当に戸籍が無いって言うだけで企業側からの信用が全く得られないのだ。別にいい所に務めたいなんて思ってない。だから仕事も殆ど選んでないけど、戸籍が無い、学歴が無い。それで殆どの会社が門前払いだ。・・・実際、戸籍が無いのは私の所為じゃない事とはいえ、企業側からすれば持って来られた履歴書しか来た人を判断する材料が無いわけだから、仕方ない事だって事は理解してるけど。・・・だけど当り前に戸籍があって、戸籍、何て言う物を特別意識すらしてこなかった私からすると、これは厳しい現実だった。それに、やっぱり1年たりとも学校に通ってないって言う学歴も、不採用の大きい要因なわけだけど。

でも、学校だって仕方なかった。だって、戸籍が無いって言うだけで本当に入学させてもらえないんだもん。仕方ないから働きながら通信教育は受けさせて貰ってたけど、・・・それもなあ。実際、通信教育って言ったって、元々私には数学とかそういう知識はあったわけだから、実際に学べたことはこの世界の地理とか歴史位なものだったけど。

昨日も『履歴書を送ってくれた人全員と面接します』っていう企業で面接を受けて来たけど、殆ど馬鹿にされて終わった。馬鹿に、半分。呆れ半分で。履歴書の写真と実際の私を照らし合わせて、半笑いで面接をする面接官の人からは、完全に私を採用する気が無いって事が直ぐに分かった。そう言う顔はもう何度も見て来たし、慣れてる。・・・だけど綺麗な黒いスーツを着てヒールを鳴らして帰る帰路に、酷く惨めな気分になる。


この街に来てから7年。2回目の17歳は、1度目の17歳とは似ても似つかないものだった。最初の17歳は、本当に・・・本当に普通の女子高生をやってた。お母さんと、時々お父さんが作ってくれたご飯を食べて、学校に行って、友達と遊んで、部活をして、家に帰ればやっぱり出来あがったご飯があって。服なんて脱げばお母さんが洗って干してくれて、掃除だって知らない間にしてくれてた。

それが今では料理は毎日3食を殆ど私が作ってて、その分頻度は少ないけど掃除と洗濯もやる。学校には通ってない・・・と言うより通えない。その分喫茶店で働かせてもらっていて、時々リヴァイさんの仕事を手伝う事もある。その仕事って言うのが・・・まぁ、猫探し。・・・から、ちょっと怪しい感じの仕事とか、色々だけど。そんな事、前はする事になるなんて考えもしなかったもんなあ。その上、私自身がそう言う怪しい・・・倫理に反する事をするって事を受け入れられるようになった事も。でも、だから何も感じないって言うわけじゃない。ただ、割り切れるようになったって言うだけで。

だから私は一般企業に勤める事を諦めない。・・・でも、やっぱり無理があるかなあ。あったよなあ。正直、今の喫茶店で働かせてもらえてる事自体が奇跡みたいなものなのかもしれない。マスターもずっと働いていて欲しいって言ってくれてるし、もういっそあそこで料理人として働かせてもらおうかなあ・・・もしくは戸籍のない人間は戸籍のない人間らしく、ちょっと小汚い仕事・・・・・・いや。いやいやいや、いや!私は諦めない。必ず一般企業に就職してやる。

元の世界に帰る。それを諦めたわけじゃない。だけど、それでもこの世界で生きている以上は、この世界で生きる努力もしないといけない。この世界に順応し無いといけない。いつか帰るんだから関係ない、なんて、そんな事は許されない。だからこそ。当面の目標は、一般企業に就職して普通に生活できるだけの収入を得る。だ。



そんな事をもんもんと考えながら買い物を持済ませて借りてるアパートに帰ると、荷物を家の中に入れてからスーツを脱いで玄関に置いてあるブラシを手に外で埃を落とす。有る程度埃とかを払ってからまた家に入って、靴を脱いでから廊下を進む。

靴のまま家の中に入るのが一般的な文化の国でこれは珍しい事だけど、潔癖症こじらせてるリヴァイさんが外の汚れを家の中にまで持ち帰りたくないって言うからこうなった。でも私自身も元々日本人で玄関に靴を脱ぐのが一般的で、家の中を靴で出歩くって言う習慣に抵抗があったからこれは嬉しい決まりごとだけど。

それから洗面所に行って下着以外の服を全部脱いで、スーツをハンガーにかけてから念入りに手洗い嗽をしてから、予めそこに用意してあった部屋着に着替える。洗面所を出てスーツをかけてから、置いておいた買い物袋をキッチンに持って冷蔵庫に食材をしまう。しまいながら、夜ごはんに必要な材料は出していく。


玉ねぎニンニクじゃが芋人参セロリにマッシュルームを切ってから、牛乳パックを開いた特製まな板で牛肉を大きく切って、塩コショウで揉み込んで置いておく。その間にフライパンでみじん切りにしておいた玉ねぎとニンニクを炒めて〜って、着々と料理を進めていく。

前は、正直料理はそんなに好きじゃなかった。前、までは。だけどリヴァイさんにあって、料理がすごく好きになった。食べるのも、作るのも。美味しい料理を食べれればそれだけで幸せだし、美味しい料理を作れたらもっと幸せ。その作ったおいしい料理を食べれればもーっと幸せ。最初は料理もレシピ通りじゃないと作れなかったけど(味も別に特別上手じゃないけど、普通に美味しいってくらいだった)、今では自分でアレンジを加えたり出来るようになって、それもまた楽しい。

シチューを煮込んでる間にさっと部屋の掃除をしたり、朝干していた洗濯物と布団を取り込んだり。そんな事をしていたら、いつの間にか大分日も落ちてきた。ぐつぐつ音を立てるお鍋を覗いて、ちょっと味見してみよっかなって小皿を取りだした所で、玄関のドアが開く音が聞こえた。特別広いわけじゃないこのアパートの中は、結構音が良く聞こえる。だから靴を脱ぐ音、廊下を歩く音、洗面所で手を洗ってる音なんかも聞こえてくる。そうして間もなく、

「おかえりなさーい。」
「あぁ、ただいま。」

部屋着に着替えたリヴァイさんが部屋に入ってきてそれを告げれば、真っ直ぐにキッチンまで歩いて来た。そうしてお鍋の中を覗いて「・・・美味そうだな。」って言ってくれた事に「ありがとうございます」。へにゃり。嬉しくなって頬を緩ませれば、「だらしねェ顔するな」ってむにゅっって頬をつままれちゃったけど。一応軽くつままれただけだったけど、それでもちょっとジンジンするそこを撫でながら「もうご飯にしちゃいますか?」って聞けば「あぁ」って返されて、1度味見をして塩胡椒で味を整えてから火を止める。

「何か手伝う事あるか?」
「じゃぁバゲット切って焼いて下さい。」
「分かった。」

冷蔵庫からサラダの材料と、作り置きしてあるドレッシングを取り出してる最中に聞かれた言葉にテーブルに置いてあるそれを指差して言えば返事と一緒に布巾を濡らし始めたリヴァイさん。バゲットを取りに行くついでにテーブルを拭いて、また戻ってきたリヴァイさんが隣で包丁を用意してるのを横に、レタスを千切って、水に晒してた玉ねぎと一緒にお皿に盛ってー・・・あ、そう言えば水菜がまだ残ってたなー・・・一緒に入れちゃおう。水菜切ってー、トマトも切ってー・・・・・・「あ。」

「リヴァイさんなに飲みますか?赤ワイン貰いましたけど・・・」
「ならそれを貰う。・・・おい、もう直ぐ焼けるぞ。」
「そしたらシチューよそっちゃいますね。リヴァイさん、パン盛るお皿とワイングラス用意して下さい。」
「お前はなに飲むんだ?」
「じゃぁジンジャーエール飲みます。」

出来たサラダと取り皿を運んで、とっととシチューをよそう。チン。パンが焼けて、リヴァイさんがあんまり熱そうな様子を見せずにお皿に乗せてるのを見て凄いなあ、ってひそかに感嘆。テーブルに運んで、リヴァイさんの正面の椅子に座って、ぱちり。両手を合わせて、

「いただきます。」
「いただきます。」


そうして、一緒にご飯を食べてる最中の事だった。今日あった事とか、テレビの事とか、なんとなくの話をしていた、最中。不意にリヴァイさんが「」って名前を呼ぶから何かと思ってトマトに伸ばしていたお箸の動きを止めて顔を上げれば、一言。

「ハンター試験を受けるぞ。」

言われた言葉に「え?」、聞き返す。聞き返せば、「だから、ハンター試験を受けるぞ。」との返事。それにまた数度瞬いて、たっぷり数秒を使って「・・・・・・・・・はい?」って首を傾げれば、グラスのワインを煽るリヴァイさん。それに取り敢えず私も取りかけのトマトを食べて飲み込んでから、リヴァイさんを窺う。・・・多分、あんまりご飯中にこの話する気なさそうだな、と。それを察して、取り敢えずとっととご飯を食べて食洗機にお皿放っちゃおうって、ご飯を食べる速さを気持ち早めた。
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