互いにさえ見えないところで手をつないでいる
「おにいさん、」

身も凍るような、寒い夜だった。追い打ちをかけるように降りしきる雨を凌ぐ為に、瓦礫が上手い具合に積み重なって屋根みたいになってるゴミ溜めの上に何もせず、小さくなって座ってた。あらゆるものが捨てられる、この世の何を捨てても許されるって言う、その場所に。ゴミも、武器も、人も。何もかもが捨てられる、流星街と言う場所に、ひとり、ずっと。

「おにいさん、綺麗な洋服きてますね。」
「・・・追剥か?だとしたら相手間違ってるぞ、クソガキ。」
「ううん。あのね、お兄さん、お金持ってそうだから、」

どうして私がそこにいるのか、どうやって此処に来たのか。ずっと考えて、考えて、考えてきたのに、結局何も分からなくて。此処に来た途端に小さく、幼くなった身体の事とか、この場所の事とかも、何も分からなくて。だけど此処では生きる事だけで精一杯で、それを調べる余裕なんて全然なかった。ただ、無様なくらいにみっともなく、生きてきた。いつか、きっと帰れるって信じて。

「だから、ねえ。・・・私と朝まで遊んでよ。」


本当は、家に帰れば、お母さんが夜ごはんを作っていてくれている筈だったのに。ご飯を食べて、お風呂に入って、身体を綺麗に洗って温まってさっぱりして。そうしたらだらだらテレビを見たり、買ったばかりのスマフォを弄ったり。それで眠くなったら昼間に干してくれてたふわふわの布団で眠って、また煩い目ざましに起こされて、ご飯を食べて、靴を履いて、外に出て・・・そうなる、筈だったのに。         どうして、こうなっちゃったんだろう。

かじかんだ手で、とっくに明かりの灯らなくなったスマートフォンを、だけど未練たらしくいつまでも大事に抱き続けた。他のものは、全部なくなった。服も、靴も、靴下も。・・・普通の生活も、帰る家も、先生も、友達も、親戚も、家族も。もう、これしかない。電源がつけば、ささやかな個人情報と、写真や、留守電の声。そんな思い出だけが詰まった、これだけ。

最初に着てた服はとっくにボロ布に成り果てて、今は捨てられていたやっぱりボロボロの服や布切れを身体に何重にも巻いて寒さを防いでいるだけ。靴は此処に来て全然サイズが合わなくて、ブカブカのそれは直ぐに無くなった。自分の足に合うサイズの靴や靴下なんてものも早々落ちてないから、代わりに布を何重にもぐるぐる巻き付けて瓦礫や硝子片から守ってる。

髪の毛もそうそう洗えなくって、前はあんなに手入れをして綺麗に保ってたのに、今ではガサ付いて伸び放題。今は寒いからまだマシだけど、シャンプーも使えないから汗や油でベタ付いてフケも飛んでるし、枝毛がいっぱいあって、黒かった髪は土埃で白く汚れてる。肌だってそう。この身体はまだ小さい子供のものなのに、酷くかさついてボロボロ。唇なんて夏場でもカサカサで、髪と同じであんまり日に焼けていない筈なのに薄汚れて浅黒い。

最後に食べたご飯は、乾いた乾パンみたいな物だった。缶が開けられなくて、無理矢理その辺に転がってた石で蓋を叩いて凹ませて、開いた小さい穴に指を入れて食べた、乾パン。その時に切れた指の傷がもう塞がってるから、結構前の事かもしれない。水は、この間雨が降ったから、その時にその辺に転がってたひび割れた器みたいなので飲んだ。
此処に来るまでは体重計に乗る度にお腹や二の腕を気にしてたのに、今はもう気に出来る程に肉が無い。全身気持ち悪いくらいガリガリに細くて、アバラなんて人体模型みたいに浮いちゃってる。

此処に来て、何ヶ月か経った時。偶々見つけた鏡で自分の姿を見た時には、そんな余りに悲惨な自分の姿に号泣もしたけど。だけど、そんな事をいつまでも気にしていられる程の余裕も私には無かった。此処では、死に物狂いで足掻かないと簡単に死んでしまう。当り前に屋根のある家があって、温かいお風呂に、美味しいご飯に、柔らかい布団がある。そんな、今までいた当り前の場所とは、此処は違う。倫理に背く事を何度も重ねて、そうしてようやく生き延びられる場所。

そんな場所で、私みたいな何の力もない子供が1人で生きる、なんて。それはとても無謀な事に思えたけど。だけど、私はただの子供じゃなくて、それなりに知識のある子供だったから。だから何とか生きてこられたけど。それも多分、幸運が重なったからだって事も、理解してる。

でも、だからと言って、誰かと一緒に行動しようなんて思えなかった。誰かと支え合って、協力して生きようなんて、もう思えなかった。信用できる誰かなんて、この場所にはいない。信じれば信じた数だけ裏切られてきた。だからもう、誰かを信じる事は止めた。
・・・でも。でも、だけど、本当は、



「偉いな、今まで頑張って来たんだろ?」

ぼろり。触れた手の体温に、溢れだした。こんな場所で、こんなに薄汚れてる私に、躊躇なく触れた。埃まみれで、綺麗な所なんて何処にも無くて。髪だってベタベタしてるのに、そんなの気にした風も見せないで、静かに触れてくれる。寒空に冷え切った頬が、その人の体温で、じわり、温まって。それに益々込み上げた。
         本当はずっと、だれかの体温に触れたかった。ぬくもりが、欲しかった。ひとりぼっちは、もう嫌だった。

「でも、此処で諦めたらだめだろう。」

人を見れば縋りつきたかったし、今まで知り合ってきた誰かも、私を切り捨てるまでは優しかった。そんな優しさが恋しくて、愛しくて、今度こそって思う度に裏切られてきた。だけど狡い打算に塗れたその優しさだって、紛れもない優しさで。だから私は、何度も縋りつきそうになった。騙されるって、分かってたのに。いつも、唇をかみしめてそれを振り払ってきた。

「お前は、諦めたわけじゃないんだろ?」

帰りたい場所を知ってるのに、帰る方法も道も何も分からなくて、不安で、帰りたくて、帰りたくて。でも、帰れない。帰る場所が無い。どんなに頑張っても、全然帰れる兆しも、この現状が打開できる術もない。その事実は呆気ない程簡単に私を蝕んで、打ちのめした。何度も諦めようとして、諦めた振りをして。だけど結局諦めきれなくて、ずっとずっと帰りたいって叫んでた。怖くて怖くてさびしくて、心細くて。それだけで死んでしまいそうだった。だから、

「ただ少し、お前には休息が必要だ。」

だからその手が、神様の手に見えた。ただ無様に這いつくばって生きて来ただけの私を、それでも認めてくれているみたいだった。また、騙されるのかもしれない。また、酷い目に遭うのかもしれない。そう思ったけど、でもどうしてか、その時。私はその手に、自分の手を伸ばしてた。

「着いて来い。・・・仕方ねェから、拾ってやるよ。」

あの時伸ばしてくれたそのぬくもりを、今でもずっと、覚えてる。






「おかえり、。今日から此処がお前の家だ。」
「え?」

1998年12月20日の夜。住み慣れたアパートで出来たてのビーフシチューにバゲット、そして簡単なサラダを食べていた最中。明日のご飯はパスタがいい、みたいな。そんな気軽さでもって告げられた言葉に首を傾げれば、目の前に座るリヴァイさんは「美味いな」なんてご飯の感想を言ってから、私に視線を戻して「だから、」と。また、ついさっき私に言った言葉と全く同じ言葉を告げた。

「ハンター試験を受けるぞ。」
「・・・・・・・・・はい?」

その一言から、日常が変わる。
一旦は落ち着いていたように思えた、波乱の日々の幕が開ける。この時はまだ、これがそのきっかけになるだなんて、思ってもいなかったけれど。その言葉の意味も。そして、誰もが知らない間にそこかしこに蒔かれていた、種にも。         今は、まだ。
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