不等辺のデルタ
バシャッ!と。そりゃぁもう盛大に顔に水をかけられて、落ちそうになっていた意識がまた急浮上する。ジンジンとかズキズキとかビリビリとかギシギシとか。兎に角身体中の切り傷擦り傷打撲、その他もろもろの傷がただでさえ痛むのに、その傷口に指して綺麗でも無い水が喰い込んで益々痛い。それに呻けば、頭上からは残念なくらいに楽しげな声。いいなぁ、お兄さんおじさん達は楽しそうで。その楽しさを私にもちょっとくらい分けて欲しいよ。そんな事を考えながら、私の事を取り囲むようにして立つ人達に目を向けて、それを細めて口端を吊り上げた。そうすれば、

「っに笑ってんだ、あァ?!」
「う゛、げほっ」

その目が私に水をかけたお兄さんの眼とあった瞬間、その手に握られていた薄汚いバケツで頭を殴られた上にお腹を蹴られた。それに「酷いなぁ、女の子のお腹を蹴っ飛ばすなんて・・・お兄さん達、根性腐ってるんじゃないかなあ」って、思ったままを言えばまた罵詈雑言と一緒に暴力も降って来た。

・・・えーと。確か・・・そう、確か。あの小屋で突然何人かのおじさんお兄さんに襲われて、まぁ殴られるわ蹴られるわ刺されるわ、凡そいい大人がか弱い女の子を囲んでするものとは思えないような集団リンチを受けて、眼が覚めてみたらこの薄汚い牢屋みたいな所にいた。ご丁寧にも両腕を後ろ手に縛られて、両足には大層ご立派な足かせが付いてるなんて状態で。目が覚めたのはまぁ多分2時間くらい前だけど・・・この薄汚い床に芋虫みたいにすっ転がったまま、取り敢えず。取り敢えず、ずっと疑問だった事を聞いてみる事にした。「えーと、」

「あのさ。お兄さん達、誰かな?」

喉から声を出してみたけど、こっちもまた相当みっともない声だった。あっちこっち痛い以外の感覚が無いって言うか・・・なんか指の先の方とか感覚すら無くなってるような状態で、頭も何度か殴られたりけられたりしてるせいでちょっと気持ち悪いし。そんな性もあって出て来た声は酷く掠れてるし、言い終えてみれば盛大に咳き込んだ。
そんな私の言葉に、目の前にいたそのお兄さんは私の後頭部の髪を鷲塚むと、そのままグイッと持ち上げた。その時にブチブチって何本か髪が抜けた。痛い。無理にのけぞった首も痛いし苦しい。腕が後ろ手に組まされてるせいで本当に苦しい。

「誰だァ?テメェざけんなよ?テメェが昨日潰してくれたのは何だったか忘れたとは言わせねェぞあァ?」
「潰してくれただなんてそんな困っちゃうなぁ・・・恩を着せるつもりは無いけど、感謝の気持ちならもっと穏やかに示してよ。」

でも大丈夫、謂われの無い暴力には慣れてるし、私は全然気にしてないから。今ならごめんなさい、って一言謝ってくれれば許してあげるよ。そう、にっこりと笑んで言ってあげれば、なんだか不興を買っちゃったみたいで、「ざけんじゃねェ!!」ってまた蹴られた。酷い。なんだか血を流し過ぎてぼんやりした意識のままに天井を見上げた。
外の様子の全然窺えない、窓1つない殺風景な石造りの壁。なんだかこんな光景この間見たなあ・・・あ。その所為で今こうなってるんだっけ。そんな事を考えて、ふ、と。天井に向けていた目を、それはそれは不快そうに見下す周りのおじさんに向ける。

「そうは言われてもね・・・覚えて欲しかったらもっとキャラ立てしてから出直して来てくれると嬉しいな。お兄さん達みたいないかにもなやられ役的なモブキャラ顔は嫌いじゃぁないんだけど、ちょっと頭に残らないんだよね。」

言ったら、顔をお猿さんみたいに真っ赤っかにしたお兄さんに思いっ切り頭を蹴られた。あんまりの衝撃に、よく意識保ってられたなって若干感心しながら、ぐわんぐわんする頭を床に乗せたまま口端を吊り上げた。痛いのは嫌いだけど、罵倒されるのは嫌いだけど、惨めったらしく地面にすっ転がるのは嫌だけど。それでも、そう、それが義務であるかのように。当然の、そう、息をするように当り前に、笑う。

「そもそもさ。人の事を無断で売り捌こうとするような人達から命からがら逃げた事をそんな風に怒られてもなあ?なんていうか、自業自得だよね。としか言いようがないよね。だからと言って私はその事自体を責めるつもりは無いんだよ。まぁ、なんて酷い人達なんだ!この人で無しめ!くらいは言ってあげてもいいけど。でもさ、私みたいなのに逃げられたのは、君達に才能が無かったからであって私の所為じゃないよね?君達の無能は君達の所為。だから私は悪くない。」

言い切れば、嫌だな。いくら私が良い話しをしたからって、そんな凍りついたみたいに沈黙してくれなくってもいいのに。そんな、いかにも不気味な生き物を見た、みたいな顔をして見下されちゃうと照れちゃうよ。そんな事を思いながら、さっきから1番喚いてた、1番近くにいたお兄さんに視線を向けて眼を細めて笑ってあげた。そしたら、

カチャリ。

床に右頬をつけて這いつくばってる私の左の蟀谷。其処に銃口をぐりっと押し当てて、お兄さんが凄い怖い顔で私を見下ろした。何でか冷や汗たっぷりで、銃を持つ手もカタカタ震えてたけど。・・・で。よくよく見渡して見れば、お兄さんも、周りにいるおじさん達も慄いたみたいに後ずさってる。いやだなあ、そんなに私の私は感動しちゃったのかな。思っていれば、「調子に乗ってんじゃねェ!!」」頭上からお兄さんの怒鳴り声。

「別にテメェを生かしとく理由なんざ端からねェんだよっ!テメェみたいな・・・ッ」
「そっかそっか。うんうん、そうだよね。分かるよ分かる、最もだよ。私みたいなゴミ虫なんて言えば虫に失礼な生き物がこうして息をしてるって事自体が世界にとっては重要な損害だもんね。うん、御尤も。それじゃぁさ、冥土の土産に教えてくれない?」

私が喋る度に銃を蟀谷に押し付ける力が強くなって行ってるのは、まぁ我慢するとして。取り敢えず。もう随分前から知りたかった事を聞いてみようとそう言ってみれば、「あァ?!」って凄い声が返された。その声が何だか恐恐としていて、それに1度瞬いてから、問う。

「今何時?」

問えば、ほんの数秒の沈黙。それにどうしたのかなって思いながら待っていれば、だけどその後に聞こえた音はお兄さんの声じゃなくって、カチャって言う金属音。気付けばグリグリ蟀谷に押し付けられてた銃口がちょこっとだけ離れた。直後、パンッ!









(ッ、なん・・なんだ・・・なんなんだよ、この餓鬼は・・・?!)
あの時、・・・そう、あの時。冥土の土産に聞きたい言葉が今の時間なんてふざけた事を抜かしたこの餓鬼の耳のド真ん中に風穴開けてから何分か、何十分か、何時間か。そんな時間すら忘れる程におぞましい時間が過ぎた。

思い知らせてやろうと、思った。徹底的に痛めつけてやらねェとならないと思った。だからこそ一発でド頭ブチ抜いて殺すんじゃなくて、耳を吹っ飛ばした。だが、その後逆の耳を打っても、足を打っても、手の平を打っても、手首を打っても、肘を打っても脇を打っても、手の指を順番に撃ち抜いても、この餓鬼は悲鳴も何も上げなかった。痛みに声を上げる事も顔を歪める事も脂汗を浮かべる事も。コイツを撃つ前に散々痛めつけた時には、こうじゃなかった。痛みに悲鳴を上げ涙を流し身体を震わせ脂汗を伝わせていた。だと言うのに、これじゃぁ、そう、まるで。まるで、

「て、テメェは・・・痛みを感じねェのかよ?!」

そう。まるで、痛覚があの瞬間から無くなったかのように。ただただ、コイツは笑っていた。嗤っていた。口端を吊り上げ、ただ、わらっているのだ。見下すでも見上げるでも嘆くでも悲嘆するでも何を乞うでもなく、ただ、笑っている。ねっとりとその顔に貼りつけられた笑み。それを直視する、ただそれだけの事が気持ちが悪く、不気味で、恐ろしくて、堪らない。いや。所か、今、コイツと同じ空間にいる。ただそれだけの事がただただおぞましい。
ただ、そこにいるだけ。それだけでの事でこれ程までに異質で異様で異常なもの。何もしていなくても、何も言わなくても、ただ、そこにある。それだけで、害。こんな奴がいるのか、こんなものがいるのか。この世界に。こんな、

その、思考の、刹那。この餓鬼と、眼が、あった。大きい、・・・この世の悪意全てをグチャグチャに詰め込んだような、その、真っ黒い眼が俺を覗いた。その、時。

「痛み?馬鹿だなぁ、お兄さん。」

酷く、明るい声だった。だと言うのに、まるで、どろりと全身を溶かすような、毒のような、音だった。その音を俺の耳が認識した、その直後。いや、前だったかもしれない。胸に、ドッ!!と、衝撃を感じた。何かと、思った。思って、視線をそこへ落とせば、

「ッ、ぐ、が・・ぁ、ぁあっああああああああ!!!!」
「全く、仕方がないなあ。身体を鉄の塊が貫通する痛みが分からない想像力の乏しいお兄さんの為に一肌脱いであげるよ。あぁ、勿論感謝なんてしてくれなくってもいいんだよ。私が勝手な善意でやった事だから。あぁ、でももしそれじゃぁお兄さんの気が咎めるって言うなら、何か貰ってあげてもいいけどね。・・・あ、そうだ。元々痛みを感じないかって言う質問をされてたんだよね。馬鹿だなあ、そんなの勿論痛いに決まってるでしょ?ね?おにーさん?」

胸に、刺さっている。何か・・・いや、螺子だ。巨大な、螺子が、胸に突き刺さっている。膝を付き、灰に溜まった血をゴブッと吐き出して、だが耳は不気味な程に、コイツの声を拾っていた。可笑しい、コイツは、可笑しい。何かが、可笑しい。いや、初めから分かっていた。コイツは、最初から、"こう"だった。不気味で不快で不可解で何か決定的な所が壊れている。いや、欠如している。そんなコイツを直視する事も、ましてその声を聞く事すらがもうどうしようもない程に耐えられ無い事のように感じた。

「だけどね、お兄さん。それより私は今、心が痛いんだよ。」

それに胸の痛みも忘れて銃口をコイツの、今度こそその額に向けたが、直後、その銃を持つ手の平に頭上から突き刺さる巨大な捻子。骨ごと潰して床に突き刺さるそれにまた悲鳴を上げ、何処からか奴が取り出した、その両手にある巨大な捻子に言葉を失った。・・・いや待て。手に、持つ?おい、おい。コイツの手は後ろ手に縛りあげてた筈だ。足枷はまだそこにはまったまま、じゃらりと音を立てるが、その、縄は?解いたにしても、その解いた縄は、何処に行った・・・?思い、また一体他の奴等は何をしているんだと振り返って、愕然とした。

「実はね。此処に来る前に、とってもハイスペックそうなイケてる怖い系メンズなお兄さんに駆け落ちのお誘いを貰ったんだよ。正直まぁ有難迷惑と言うか、揺らぐ余地も無いお誘いだと思ってたんだけど・・・実はちょっと真面目に着いて行きたかったって思っていた自分についさっき気付いたんだよ。」

今まで。そう、つい数秒前まで一緒にコイツを痛めつけていた奴らが、全員残らず、壁に磔にされていた。巨大で、太い、無数の螺子。それらに身体の至る所を貫かれ、生きているのか死んでいるのか。微動だにせず、ただ、その螺子に貫かれた個所から夥しい程の血液を流し、床に血溜まりを作る。なんだ、これ・・・なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれ?!!「まぁ、」

「そこは私らしく。完全に気付くタイミングを外して、今はもう約束の時間をとっくに過ぎちゃったんだけどね。だから、」

がくがく。震える身体に、ひゅっと鳴る喉。あぁ、あぁ、どうして。くそ、嫌だ、気持ち悪ぃ。何だこれ。くそ、何で・・・こんな・・・こんな気持ち悪い奴の言葉を聞かなけりゃならねェくらいなら・・・こんな奴を直視しなきゃらならねェくらいなら・・・あぁ、クソ、どうして。・・・俺も、こいつらみたいにとっとと意識を失っちまいたかった。

「だからその憂さ晴らしは、君達でさせてもらう事にするよ!」

目の前には、満面の笑み。俺より、ともすれば後ろの連中より酷い状態の、この、血塗れの傷だらけの穴だらけの小娘。それをものともせずに目の前に達、両手には巨大な、無数の螺子。それらで一体何をするのか、俺がどうなるのか、考えるまでも無く理解して、ザッと血の気が引いた。

「ま、待て・・・」
「嫌だ。」
「頼む、やめてくれっ」
「断る。」
「お、俺達が悪かった・・・だから、頼む許してくれっ!!」

胸に風穴があいている状態で、どうしてこんなにも喋れるのか。それは全く分からないが、それでも、そこから全身を侵食する激痛に、いや、それ以上に目の前のこの生き物の気持ち悪さに耐え、叫ぶ。叫べば、コイツは、俺を見下ろしながら、ただ、哂う。

「こんな場所で。よりにもよってこんな、勝ちも負けもルールすらないような戦いを過負荷(マイナス)に挑んだ、君が悪い。だから私は、悪くない。」

あぁ、そうかもしれない。そうなのかもしれない。そうなんだろう。なんで、あぁ、何で、こんな奴を相手にしちまったんだ。あぁ、悪夢みたいだ。この現状も、目の前のこの不気味な化け物も。何もかも全部が絶望的な悪夢そのものだ。だというのに、どうしてか。あぁ、どうしてだろうな。頭がイカれて来たのかもしれない。妙に楽しい気分で、口端がつり上がっている。だめだ、段々、何も考えられなくなってきた。ただ、不気味に愉快なだけなのだ。そんな事をぼんやりと考えている俺の、直ぐ眼前。眼球の前に迫る螺子の先端を目に、最後。コイツの声を耳に、俺の意識は無くなった。

「馬鹿だな。これは紛れもない、何の変哲もない、何処にでもある、どうでもよく普通な、現実だよ。」
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