翌日の魔法使い
鬱蒼と茂る森の中奥深く。獣道すらないその森の小高い場所に、その家はひっそりと立っていた。そこは家と呼ぶにはあまりに小さく狭く、そして何より"ボロ"い。家、と言うよりは小屋と呼んだ方が相応しいだろう。その小屋の扉をコンコンと叩けば、相当弱っているんだろうその木製の扉は、ギシ、ミシ、と軽く叩いたにも関わらず妙な軋んだ音も立てた。

小屋の中から微かな物音が扉へ近付いて来るのを聞きながら、右手に持った刀の柄で肩を叩く。此処へはペンギンだけ連れてベポは先に帰らせた。魔女ってのがあの女だと分かった時、アイツへのベポの異様な程に強い警戒心を懸念しての事だ。だから先にアイツは船へ先に戻らせて、噂の魔女を見つけたと他のクルー達に伝えるように指示した。
そして今俺の斜め後ろに控えるペンギンが興味深げにきょろきょろと眺めているこの小屋に、俺もまた視線を移した。

木造の小屋はあちこち罅割れ、腐り、壁も屋根もその機能を半分も果たしていない。まさに辛うじて建っているその小屋の、隙間だらけの扉がギシギシと音を立てて開いた。中から出て来たのは、小柄な女だった。真っ白い肌を覆うようにある真っ黒の服に、ソックスに靴。そして黒い髪。ぱちり。自分達を至極不思議そうに見上げるその小娘は少し前と全く変わらず、魔女と呼ぶにはあまりに隙だらけで無害な身体を晒していた。

「?あれ、さっきのお兄さん達?」

ぱちり。さも不思議そうに俺とペンギンを見上げて小首を傾げている様子は、間違いなく只の女だ。それに、今は最初に会った時に感じたあの薄気味悪い気持ち悪さも殆どない。その事を怪訝に思いながらも、余計な前置きを据えるつもりはない。つきさっきしとどに濡れていた筈の服は同じものに見えるが、恐らく着替えたんだろう。綺麗に乾き、髪も全く濡れている様子も見せない。風呂にでも入った後かと、余計な時間を取られずに済んだ事に都合がいいと、とっとと本題に入る。

「お前が噂の魔女だったとはな。」
「魔女?私ってそんな少年漫画の強敵か雑魚キャラかって判断に迷うような名前があったの?」

妙に咬み合っていない風なコイツの反応に「知るか」と一言返してから、まあ確かにさっきの老人の話じゃ島の連中が勝手に流してる噂らしいしな、と。そう納得してから言い方を変える。そうして「どんな怪我も病も治す事が出来る魔女がこの島にいると噂を聞いて来た」と言い直した俺に、ぱちり。コイツはさも感心したと言わんばかりの大仰な身振り手振りと表情を作る。

「そんなお伽噺みたいなお話を信じてわざわざこんな所にまで来たの?お兄さん凄いね。」
「市民街の奴からも聞いた。お前の事だろう。」
「じゃぁお兄さんはその魔女さんに怪我か病気を治しに貰いに来たんだ。」

後ろで「ちょ、会話咬み合ってないですよ」と小さく告げたペンギンを無視し、俺はこの女の言葉に自身のパーカーを捲くり上げ腹を出した。2週間前に切った痕や、この間抜鈎したばかりの生々しい痕がくっきりと残っているそれをぱちぱちと瞬いて、しかし怯む事無く「痛そうだね」なんて抜かす女を見下ろしながら、取り敢えず必要と思える情報を告げる。

「2週間前の戦闘で負傷したクルーに臓器をいくつか提供した。その中には右肺、腎臓、肝臓も含まれている。そのクルーは一命を取り留めたが、まだ予断を許さねえ状態だ。俺自身肺を提供した事で呼吸器官に負担がかかっている。俺もそのクルーもこのまま偉大なる航路を渡るのは厳しい。お前が無理なら、直ぐにでも健康な臓器を調達する必要がある。・・・治せるか?」

問えば、その女は「はいはい!」と、肯定と言うよりは・・・まるで生徒が教師に問うようなニュアンスでもって声を上げ、どうしてこの状況でそのテンションになるのか皆目見当もつかない明るさで持って右手を真っ直ぐに上げた。そして俺の顔を何処かキラキラとした目で見つめながら、言った。「その前に先生質問です!」

「肝臓って無くなったら死んじゃうんじゃないんですか!あと肺って片方無くなっても大丈夫なんですか!」

言われた言葉に、俺等の空気が凍りついたのが分かった。俺も、ペンギンも、コイツのこの笑えねェ・・・医学に携わっていない感満載の頭の悪い質問に、絶句した。・・・だが、まぁ確かに単純に何らかの能力で治しているだけなら必要の無い知識なのかもしれないと、取り敢えず答える事にする。

「・・・肝臓は全摘出じゃなく一部だけのものだ。元々肝臓は3分の1程度なら切り取っても2、3カ月で元に戻る。肺も片方無くなってもリハビリを終えれば日常生活を送る分には問題ねェ。」

傷口を1つ1つ指差しなぞりながら一通り説明した所でようやく服を下ろす。・・・そう。日常生活を送る分には何も問題はねェ。だが、と。その様子をジッと真面目に聞いてんのか聞いてねェのかよく分からねえ面で眺めていた女に、しかし俺は続ける。「が。俺達は一般に言われる日常生活を送ってねえ。」

わざわざ自己紹介なんてしねェが、俺が海賊だって事くらいこの女も分かっているだろう。今まで俺の胸元で笑うジョリー・ロジャーを見ていた女が、ぐりんと顔を持ち上げて、その中にある大きく真っ黒い目玉が俺を覗き見た。その、・・・この世の負、全てを凝縮して詰め込んだような眼に、一瞬。そう、ほんの一瞬だったが、ゾワリと全身が粟立った。それは紛れもなく、あの時と同じ感覚だった。

「治せるか治せないか、って言われたら治せるわけがないよ。だって私、お医者さんじゃないもん。」
「島の連中は不治の病もあらゆる致命傷もお前が治したと言っていた。俺達が海賊だからってシラを切ってるなら、」
「違うよ違う!だって本当に私お医者さんじゃないもん、島の人の病気や怪我だって1度も治した事なんて無いよ!」

シレッと、しかしきっぱりと言い切った女に、俺とペンギンは達は互いに顔を見合わせた。さっきの老人の話とは間逆の返答だな。あの老人がこの女を追い出したいが為に嘘の情報を掴ませたか?それともこの女がしらばっくれてるだけか、あるいはそもそもコイツは噂の魔女じゃないのか。・・・まぁなんにせよ、此処で無駄話を続けるつもりはない。コイツが魔女本人である可能性もあるなら、・・・吐かせるか。思い、刀を抜こうとそれに手をかけた時。「でも、」と。不意に女が声を上げた。

「お兄さんにはさっき手を差し伸べてもらった恩があるから、恩返しはしておこうかな。」
「?なにを、・・・・・・ッ?!!」

ぺたり。この女が俺の腹に手の平を乗せた時、悪意も何も感じなかったからそのままにさせたが・・・直後に感じた"違和感"に息を飲んだ。その様子にペンギンが「船長?」と怪訝に声を上げたが、俺はそれに答える事無く女がす、と手を放したのと同時に自身の腹や胸元に触れて、刹那。鞘から抜き放った刀の腹をその首筋に当てた。

「お、前・・・ッ、何した?」
「?何って?」
「俺の身体に何したっつってんだ・・・ッ」
「せ、船長、一体何が・・・?」

刀を突き付けられても全く動じた様子も見せないこの女は、しかし相変わらず隙だらけの間抜け面で俺を見上げるだけだ。何もされないと思っているのか、それとも何か策や力があるのか、あるいはたんに何も考えていないだけかは分からないが、実際俺等がコイツを殺しはしない事は事実だ。・・・だが。それは何も一切コイツを傷付けないと言う事じゃない。そんな思いも込めてグ、と刀の刃をコイツの首の薄皮に食いこませる。

そんな俺の様に直ぐに戦闘態勢を取ったペンギンだが、しかし行き成りの事に戸惑ったように俺を窺い見ている。だが、戸惑ってんのは俺も同じだ。・・・確かに、成る程確かに噂通りだと言ってしまえばその通りだ。だが、これはそんな簡単な言葉で納得できるような事じゃねェ。「・・・俺の、」

「シャチに移植した筈の臓器が、戻っている。」

手の平から、肉体から確かに感じるその脈動にそれを口にすれば、一瞬「は」と呆けたペンギンはしかし、次の瞬間にはそれを正しく理解したのか「はぁ?!!」と声を荒げてバッと女を仰ぎ見た。確かに・・・確かに、戻っている。これが錯覚でなければ、確実に。いや、臓器どころか服の中へ手を滑らせれば、其処にあった筈の傷口も何もかもが無くなっている。そう。まるで初めからそんなものは無かったかのように。そんな傷跡一つ残っていない腹を見て、こんな能力が本当に存在するのかと女を睨み据える。

「どういう事だ・・・お前、俺に何をした?」
「何って・・・見ての通り触れての通り感じての通りだよ。お兄さんのその傷をなかった事にした。」

言われた言葉に、「・・・・・・なかった事に?」と怪訝に眉を寄せた。だがこの言われた言葉を再び脳内で復唱し噛み砕いた時、徐々に働きだした脳が警鐘を鳴らした。コイツがどういうつもりで、どういう意味を持って"無かった事"という言葉を使ったのかは分からないが、分からない以上、聞き逃せる言葉じゃねえ。
相変わらずの間抜けずらで、何でも無い事のようにそれを言ってのけた女の胸倉を掴み上げた。

「じゃぁアイツはどうなる!?」
「わっ、吃驚した!急にテンション上げてどうしたの?っていうか、アイツって誰の事?」
「さっき言っただろうが!まだ失う訳にはいかねェ部下に俺の臓器を提供したと!!そいつはどうなった!!?」
「さぁ、どうかなあ。お兄さんの臓器がそこにあるって事は、その人からはお兄さんの臓器は無くなってるんじゃないかなあ。」

一体どんな原理でそうなるのかは分からねえ。それでも、シャチに移植した俺の臓器が此処に戻って来たって言うなら、今シャチの肉体の中には俺がアイツに移植したすべての臓器が無くなっていると言う事になる。そうなればどうなるかなんて火を見るより明らかだ。俺は最悪の事態を想定して、しかし目の前で何でも無いようにゆったりと喋る女に盛大に舌打ちして刀を鞘に納める。そしてその刀をペンギンへ放ると、それを慌てて受け取ったペンギンへ視線をくれる事無く女の腕を掴み、ぐいっと引っ張り上げて肩に担いで駆けだした。

そうすればペンギンは黙って後ろを付いて来たが、ぎゃーぎゃー煩ェのは女の方だった。だから「くっくるしいよおじさん!」なんて(しかもコイツ今『おじさん』っつったか)ばたばた暴れるコイツの背中をグッと抑えつけて腹を押しつぶすように圧迫して絞め付けてやる。そうすれば「くっ・・・くるし・・ご、ごめんなさい・・・ッ」と一応は大人しくなったコイツを確認して、取り敢えず腕の力は抜いてやる。・・・だが、もし船に戻った時にシャチがくたばってたら、コイツの身体バラしてパーツごとに海王類のいる海に1つ1つ沈めてやる。






         もしもの時はこの女に生きている事を後悔させてやる、と。

焦燥に追い立てられるように停泊させていた潜水艦まで駆け、そうしてようやくその船を目の前に。俺は、今。言い知れない殺意染みた苛立ちに顔を盛大に引き攣らせている。島の中心部から獣道も無い険しい森を降り、街を抜け、海岸まで全力で走りぬけた上、人1人担いでいた負担は大きく、乱れた息を整えながら。しかし未だに肩に乗るコイツをギリギリと再び腕で締め付けるように圧迫し、「お、おにーさん・・・く、くるしい・・・」なんて俺の肩に乗りながらか細い声を上げた声を確認してから、その肩の高さから容赦なくコイツを地面に叩き落とした。

それに「いたい!!」と悲鳴を上げた女に、俺は未だにゼイゼイと肩で息をしているペンギンの手から刀を奪い取ってその鞘の先を地面に座るコイツの頬にぐりぐりと容赦なく押し付けた。

「おい、どういう事だ。」
「いっ、いた・・・いたいよおじさっ、いたっいたたたた!」

いつもより数段低く凍るような声が喉から出た事実が更に自身を苛立たせたが、この女の痛いと言いながらも能天気な面を見ていると今すぐにでも抜刀したくなる衝動にかられる。それでもコイツが今息をしているのは、今、目の前で俺とこの女の様子を"何事も無かったかのように"オロオロと真っ青な顔で見比べるシャチがいるからだ。・・・どういう事だ。
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