夜空の残念大会
人間屋からの帰ち道。ばちゃばちゃと音を鳴らして昨日の雨でぬかるんだ地面に靴底を落として歩く。その度に茶色く汚れた水がはねて靴下やスカートを汚したり、水溜りなんかを踏む度に靴の中に水が入ってたぷたぷするけど、それも気にせずに市民街を歩く。本当は真っ直ぐ家に帰ろうかとも思ったんだけど、元々私が人間屋に捕まる前に街に降りたのは、家にある食料が底を尽きたからだった事を思い出したからだ。

2週間に1度。それが私が家から市民街に降りる頻度だ。私は時々私の家を訪れる『患者』さんの怪我や病気を無くしてあげる『仕事』をする代わりに、なーんの仕事もしないで衣食住の全部を保証される事になってる。

とはいえ。私の私の住んでる家・・・っていうか、まぁ小屋なんだけど。そこはこの島の丁度中央にある森の中の、更に中央。ちょっとした山みたいになってるその森の1番高い場所にあって、そこまでの道のりには獣道すらない。だからそんな場所に物資なんて運んでもらえないから、必要な時には私が森を降りて街に取りに行くって事になってる。それはまぁちょっとは面倒臭いんだけど、人達は食べ物だけじゃなくて生活をするのに必要な電気や水もくれるし、頂戴って言えば本とか娯楽品も恵んでくれるから、それでも相当楽に生きていける。
それも私は街の人達から大層に嫌われてる(・・・・・)から、そのお仕事だって滅多にしなくていいから本当に楽ちん。


で。あの人間屋から外に出てみて分かったけど、私があの人達に捕まったのは昨日の事だったらしい。私が捕まる前に出かけたのは夕方だったから、2日3日経ってない限りは今のこのお昼時の晴れやかな空はあれから1日が過ぎた事を教えてくれた。つまり早く用事を済ませて帰らないと昼ドラが始まっちゃうって事だ。

まぁだから急いで用を済まそうっていう気持ちにはならないって言うか・・・何だか段々面倒臭くなってきちゃったわけだけど。取り敢えずみたい気持ちは無きにしも非ずだから、とっとと何か日持ちしそうなものでも買って帰ろう。そう思ってぶらぶらとついさっきまでいかにも外れな層の手錠のはまっていた手首を揺らして軽快に歩いていた時。不意に斜め後ろら辺からガタって言う音が聞こえて振り返った。

振り返れば、そこにはまさに蒼白!って感じの顔をした30台半ばくらいのおじさんがいた。なんだか何処かで会ったような気もするんだけど、全く思い出せない。でもその人が何だか引き攣った顔で私を指さして「お、お前・・・っ」なんて指差してくるものだから、ぱちりと瞬いて首を傾げた。「えーと、」

「おじさん誰かな?私、会って行き成り他人を指差してお前なんて呼んでくるようなおじさん気ない知り合いなんていないと思ったんだけど。でも何か何処かで見た事あるような気はするんだよね。もしかしておじさんって、私が3歳の時に出て行ったきり音信不通なお父さんとかそういう人だったりする?」

こてり。人差し指を口元に当て首を傾げ、更に困った笑みまで携えてみたけど、おじさんの方は「何でお前が此処にいる?!」なんて、完全に聞いちゃいねえ知ったこっちゃねえ状態だ。うーん・・・仕方ないなあ。おじさんが2歳の時・・・あれ?3歳だっけ?まぁいいや。兎に角私を置いて行ったお父さんじゃないかって言う設定は置いておこう。

「何でだなんて失礼だね。私にだって人権くらいあるんだから、いいお天気の日に街の中を歩く位するよ。」
「・・・俺に、仕返しでもしに来たのか?」

凄いなこの人。いくら私が相手だからって此処まで人権を無視してくるなんて・・・だけど言われた言葉があんまりにも見当違いって言うか、身に覚えがないって言うか・・・それで「え?」って首を捻れば、また「しらばっくれるな!あそこから逃げ出して此処まで来たのはその為なんだろ?!」なんて怒鳴って捲し立てられた。そのおじさんは何だか今にも掴みかかってきそうな権幕だけど・・・私からしてみれば何言ってるんだろうこの人、だ。・・・って、思ってたんだけど。「あ」ふと、思い付く。

「・・・あぁ!誰かと思えば昨日私を路地裏に引きずり込んだ人か!そうならそうって言ってくれればいいのに。道理で3歳の時に出て行った音信不通のお父さんなんて身に覚えがないと思った訳だね。」

ぽん!手の平の上に拳を落として納得だと頷けば、「ふざけるな!!」って怒鳴られた。

ふざけてない。別に私にとってはたまに街に降りた時に突然路地裏に引きずり込まれて昏倒させられて売り飛ばされる事なんて大した事じゃないんだよ。だからその件に一枚噛んでたおじさんの事だって私にとってはそんなに重要な事じゃなかったんだよ。って言う事を噛んで含めるように丁寧に説明すれば、別に私は怒ってないって言ってるのに、何だかおののいたような顔で1歩引かれた。

それに首をかしげつつ。でもこれで用は終わったよねと踵を返して再び歩き出した。そんな私に後ろで納得がいっていないような、何処かホッとし様なそんな声とも付かない声を上げたおじさんのそれを聞きながら。ふと、口にする。「あぁそうだ。」

「所で私は一体多数とか騙し打ちとかそう言うのを狡いとか卑怯だとかって責める気は無いんだよ。やられる方が悪い。だから、」

ドッ!!身の丈程の巨大な螺子が、そのおじさんの背中から突如突き刺さった(まぁ私がやったわけだけど)。その突然の衝撃におじさんの方は何が起こったのか良く分かってない様子だけど。でも口から血を吹き出し、ガクリと膝を付いたおじさんに私の方は口端を吊り上げた。

「私は悪くない。」

振り返った私とおじさんの眼があった瞬間。おじさんがハッ!、と。沿う我に帰った時には、もう既におじさんを貫いていた筈の螺子も、貫かれ大穴があいていた筈の傷も、口から吐き出して服や地面を汚していた筈の血も何もかも、全部が無くなっていた。そんな様子にガタガタと震えて全身から冷や汗を流すおじさんの方へ再び振り返る。そうしてとっても穏やかに喉から声を滑らせる。

「いや、私は本当に仕返しなんてするつもりは無かったんだよ?でも何だかおじさんがあんまりにもして欲しいみたいだったから。それにいたいけな女の子一人の人生を壊しかけたのに、全然気にしてないから許してあげるよ。じゃ、確かにおじさんの気も咎めるに違いないから、今ので昨日の事は水に流して仲良くしようよ!なんて言ったって、おんなじ島に住む"仲間"なんだからさ!」

そう言ってにこっ。と笑んだ私を、おじさんは数秒唖然としたように座り込んだまま見上げていた。だけどふとブルブルと・・・今度は恐怖と言うよりも、何だか戦慄くように震えて顔を真っ赤にさせると、今日1番の凄い怒気を孕んだ顔で立ち上がって右手で私の身体を突き飛ばした。

「ッ!!さっさと出て行け!この化け物!!」
あれから更に数分。ようやく森を抜けて辿り着いた小屋の中。未だに乾く事無くぽたぽたと髪から服から落ちる水滴に構う事無く、びちゃびちゃの靴を玄関に脱いで放ると、水をたっぷりと吸い込んだ靴下で足跡を付けながら床を歩く。小屋中の床やらささやかな家具何かを濡らしながら、だけどやっぱり思い出すのはこの手首の事。右手を上げて、その手首を左手で撫でる。

「・・・変なお兄さん達だったなあ。」

勿論お兄さんって言うのは私を突き飛ばしたおじさんの事じゃなくて、その後。あのおじさんに水溜りに突き飛ばされた後に現れたあのお兄さんの事だ。・・・いやでも素敵な髭お洒落をしてるくらいだからおじさんって呼んでもいかもしれない。まぁいいや。



あの時は確か・・・思いっ切りお尻から水溜りに落ちた私は(やれやれ酷いなあ)なんて思いながら、付き飛ばされた私よりも顔を真っ青にしていなくなったおじさんに視線を向ける事もなく。服から髪からパンツの中までびっしょりになった全身から落ちた水滴が水溜りに波紋を作るのをぼんやりと見ていて。その時にあ、昼ドラ。と、ちょっと忘れかけてた当初の目的のそれを思い出して、でも何だか飽きて来たし、もう良いか。そう思い直してた。そんな最中だったと思う。

「おい。」

低い、若い、綺麗な男の人の声だった。泥水の中に座る私の1歩前で、視界に映ったヒールの高い靴と独特の柄のジーンズ。その細く長い足を遮るように目の前に差し出された刺青だらけの浅黒い手。その奥に見える黄色いパーカーの中心で笑うジョリー・ロジャーがなんとなく目に入って、だけど目の前のこの手の意味が良く分からなくてジッとそれを見つめていれば、再び落とされた声。

「ぼさっとしてんじゃねェ。とっとと立てよ、お嬢さん?」

その声に顔をめいっぱいに上げれば、高い場所から私を見下ろす両眼。くっきりと浮かぶ隈の上にあるその眼は鋭くて、その目つきは相当悪い。なのにどうしてか黒い隈と、そしてジーンズと同じ柄の白い帽子の間に埋まった灰色がかった青色の眼が宝石みたいに見えて。      だから、一目で分かった。

あぁ、このお兄さん異常(アブノーマル)だ。何の変哲もない、ただの選りすぐりのエリートだ、って。
・・・最もこの世界(・・・・)にはその定義すらないけど。取り敢えず純真で純粋なエリート嫌いな極々一般的に色々全体的に平均以下な私の嫌いな人種だって事は分かった。そして私みたいなのが(・・・・・・・)が大っ嫌いな筈のそのエリートさん(いや、実際にはエリートさんに限らず私みたいのは大体にして嫌われ者だけど)が私に手を振り上げるんじゃなくて、差し伸べてる?様に見える状況が分からなかった。だから確認してみたけど、そのお兄さんは本当に私に、私なんかに手を差し伸べてくれていた。

1度その手に私の手を伸ばしたら避けられちゃったけど、その後直ぐに私の手首を掴んでくれた。嫌そうな顔で、だけどこんなに"気持ち悪い"私の眼を真っ直ぐに見てお話してくれた。

あの人の後ろには白熊さんと、あとペンギンって書いてある帽子を被ったお兄さんがいた。白熊さんは何だか警戒心丸出しで、ペンギンちゃんの方は何だか幽霊でも見るみたいな顔してあのお兄さんを見てたから、きっと普段はあぁ言う事しない人なんだろうけど・・・なんでよりにもよって私に手を差し伸べてくれたんだろう。じゃんけんで負けたのかな?それでも、

「嬉しかったなあ。」

理由なんて別にどうでもよくて、罰ゲームだろうが親切だろうが打算に塗れた事だろうが何だっていい。それでもあぁやって私に手を差し伸べてくれた人なんて片手で余る。基本的に害される事はあっても、どんな理由であれ親切を受ける事なんて滅多にないから。だから嬉しい。

なでなで。最後にもう1度手首を撫でて、エリートでもあのお兄さんは好きだなあ。なんて、最初とは真逆の事を考えて。・・・あ、と気付く。手首を掴んでくれた事に吃驚して慌てて帰ってきちゃったけど、結局何にも買ってないや。でも今更またお出かけ留守のも面倒くさいし・・・なんかもう明日でいっか。1日位何にも食べなくても死なないしね。

そう思った所でピッとテレビを付ければ、歌って踊る子供向けの番組がやってたから、なんとなくそれを見つめた。






ぼたぼたと重たく髪から服から滴り床に小さな水溜りを作って行った泥水に、たぽたぽと黒い靴下の中に溜まっていた気持ち悪いそれ。それらを着替える事も乾かす事もなく、周りが汚れる事にも一切構う事無く小屋中を歩き回った事で、其処ら中が汚れて行った。けれど、

ある瞬間、彼女の髪は乾いていた。
ある瞬間、彼女の重たくなった服は乾き、泥水の汚れも無くなっていた。
ある瞬間、家中に滴り落ちた泥水は乾いていた。
ある瞬間、彼女が突き飛ばされた時に出来たささやかな傷は無くなっていた。

      まるで、初めからそんな事実なんて無かったかのように。



「あ。昼ドラの最終回、見るの忘れちゃった。」
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