浴槽の中のレイトショー
「・・・外傷はねェな。打撲の痕もみられねえし、かといって毒物を摂取した感じでもねえ。」

先日私用があって訪れた偉大なる航路の島にある人間屋の中。その中にあった"惨状"を眺めながら、念の為に装着していたマスクを外して後ろに控えていたベポにそれを放る。それを慌てて受け取ったベポに視線をチラリとも向けず、僅かな興味も含めて近くに転がっていた男の肩を足で蹴り動かしてうつ伏せから仰向けに変えそれを見下ろした。が。それが周りに転がるものと何も変わらず同じである事に息を吐いてから、今度はふらりと上の方へ視線を転がした。「・・・その上、」

「空気中からも別段異常な物質が検出された訳でもねえ。」
「能力者、ですか?」
「さぁな、何とも言えねェ。」

円状の形をしたこの島は、丁度真ん中を分断するように小高い森が茂っている。そしてその分断された左右の島は、片方が穏やかな治安、片方が人間屋なんてもんもある荒れた治安と真っ二つに割れている。その2つの区域を、この島の連中はスラム街と市民街と呼んでいたが・・・。そんな相反する2つの区域がそれでも良好な関係を築いているのは、一重に市民街の連中がスラム街の連中に物資を支給し、スラム街の連中が市民街を訪れた不穏因子を排除すると言う持ちつ持たれつの関係にあるからだ。

が。腐っても此処は偉大なる航路。市民街を訪れる不穏因子・・・主に性質の悪い海賊や、"物資"である(他の島からくる)若い娘や能力者を捉えられる程の実力を持ったスラム街の連中は、まぁそれなりに腕が立つ。実際この人間屋の警備をしていた奴は中々に腕の立ちそうな能力者だった事を昨日確認していた。そんな警備の連中も、この人間屋を取り締まり運営していた人間も、また此処に商品を買いに来た連中も、そして売られる筈だった"商品"ですら、皆もれなく全て。そう、この人間屋の中にいた人間が全て、其処ら中に倒れ伏している。

そんな有様にぐるりとこのホールを見渡して。一体何がどうなればこうなるのか皆目見当もつかねえ事態に、溜息を吐くように「ただ1つ言えるのは」と。そう告げた口元は、自分でも分かる程に歪につり上がっている。

「これだけの人間が全員元から精神疾患を患っていたとは思えねェ。こいつ等は『何らか』の『もの』によって、こうなったって事だけだ。」

何処にも外傷を受けたような痕もなく。何らかの病原菌が感染したような痕も無く。毒物を摂取したような痕もなく。何も無かったかのように、全員が全員精神を病んで、倒れ伏している。この辺り一帯が血の海にでもなってりゃ興味すら沸かなかっただろうが、こんな異常な状況に興味が沸いて徹底的にこの辺りと"被害者"を調べ始めたのはもう数時間前だ。それでもそれだけの時間が経過した今になっても此処を訪れる人間が誰ひとりいない事すら不可解で、返って愉快だ。

どう考えても悪意ある故意によって引き起こされた事態だろう。それもその被害を受けた奴は、この人間屋にいる人間だけでなく、恐らくこの外にいるだろう関係者にまで及んでいる。こんな状況を常人が作り出せるとも思えない。能力者の力と考えるのが妥当だろうが、此処は偉大なる航路。何が起ころうとも不思議じゃない、そう言う場所だ。
それを思い告げた俺に、ベポが「うわぁ・・・」なんて何とも情けねェ声を吐きだすと共に盛大に顔を歪めて見せた。

「グランドライン怖いねー」
「なんだ、もう怖気づいたのか?」
「グランドラインよりキャプテンのその楽しそうな顔の方が怖いよ!」

わざと挑発するように口端を吊り上げた俺に、心外だとばかりに怒っている風を見せるベポに素直な奴だと笑んでから。まぁ取り敢えずと俺の指示通りに何人かの老若男女の血液を採取しているクルーへ向き直る。「おい、」

「比較的症状の軽い奴に話聞いとけ。まぁ、ざっと見全部が全部こんな状態だ。希望は薄いがな。」
「いや、船長?今はこっちの事よりも人探しの方が先では、」
「勿論これも人探しだ。」

俺のその言葉に反応したペンギンに忘れちゃいねェよ、と。今回この島に来た目的を思い出し・・・いや。改めて思考し、何とはなしに胸に触れる。はぁ、と息を吐き、そんな俺の様子を気遣わしげに見る2人と1匹に何ともないと胸に触れていた手をひらりと振る。・・・とはいえ、これから先の海をこの侭進めるとも思えねェ。2週間前より遥かにきつい呼吸にうんざりしながら、意識を胸・・・いや。肺から目の前に広がるこの惨状へ移し、ペンギンへ問う。「お前、」

「こんな芸当を出来る"異常"な奴がそう何人もいると思うか?」
「・・・関係があると?」
「さぁな。どっちみちこっちにはまだ何の情報もねェんだ。些細なもんでも全部洗って見つけ出す。」

目的の人間を見つけ出し、そいつが俺等の目的を果たせる能力を持った奴なら何としてでも遂げてもらう。無理なら無理で、その辺から色々(・・)調達(・・)しなけりゃならねェ。今後の事を脳内であれこれ考えながら、しかしそのあまりの面倒臭さに帽子を目深に被り直した。









「ぼさっとしてんじゃねェ。とっとと立てよ、お嬢さん?」

あの人間屋のあったスラム街から海沿いに歩き市民街へ行けば、汚ェ水溜りに落ちた小娘。普段なら気にも留めねえ上に泥水に塗れた女なんて触りたくもねェと思って無視している所だが・・・今回に限って声をかけ、手を差し伸べた。そしてそんな俺の手をジッと見つめたまま何を言うでもなく動かない女の旋毛を見下ろしながら、コイツが動くのををジッと待つ。

平均より高い位置にある俺の眼線からは、地面に座り込むこの女を見下ろしても前髪に隠れその表情は窺えない。が、それでもその女が至極不思議そうに俺の手を見つめてるって事くらいは理解した。それに一体何がそんなに解せないんだと思いながら、それでも大人しく女の反応を待っていれば、そいつはようやく地面に突き飛ばされた時にすら上げなかった声を空気に響かせた。

「?・・・この手、私に?」
「他に誰に出してるように見える?取るのか取らねェのかとっとと決めろ。」

言い終えた時、ようやくゆったりと顔を上げた女と目が合った。今まで真っ直ぐに俺の手へ向けられていたその顔が更に上にある俺の顔へ向けられ、その黒くデカイ目が俺を覗いた瞬間。ゾワリ。今まで感じた事の無い、言い知れない気持ち悪さが背中を撫ぜた。・・・別に、殺意ってわけじゃねぇえ。敵意とも悪意ともまた違う。だが、確かに感じる圧倒的な『嫌なもの』に、身体中が引き攣ったような感覚を覚える。得体のしれない薄気味悪さ。名前も付けられないその不可思議な感覚が何かを探そうとしている俺の傍ら、コイツはぱっと顔に至極嬉しそうな笑顔を貼りつけて見せた。

「ありがとう!この恩はきっと忘れるまで忘れないよ!!」

言葉と共に、俺の手へ自身の手を伸ばした女のそれが近付いた刹那。「ッ、?!」ゾッ・・・、と。酷い悪寒にも似た何かを感じ、バッと。喉までせり上がってきた何かを殺して、しかし殆ど反射で手を自身の顔の後ろにまで引き、避けた。その事実に、俺自身が驚愕した。ともすれば声でも上げそうな程の何か。それがほんの一瞬にして全身を毒するように血液と共に巡り、ドッドッドッ、と心臓が悲鳴を上げる。額には理由の全く分からねェ冷や汗が伝い、気付けば俺はさっきまでの位置から2歩下がった場所に立っていた。

今・・・何か、されたのか?いや、そんな筈はない。そんな感じじゃなかった。これは只の・・・そう、ただの、『感想』だ。美しいものを美しい、醜いものを醜いと思うのと同じように、俺は今、コイツの事をほんの少し触れる事すらしたくない程の、動悸がする程の気持ち悪いものだと『思った』だけだ。その凄まじい感覚に、咄嗟にそれを引いた。振り払う事すらしたくなかった。純粋に、触れる事すら嫌だと思った。

「?・・・??」

そんな俺の様子を不思議そうに見つめて、だがその後すぐにそいつはニコッと。そんな音がつきそうな程の無邪気さで持って笑んで見せた。・・・それに、訳も分からずに眉を寄せた。そうすればコイツは「気にしなくてもいいんだよ」と。酷く優しい・・・まるで、毒で犯されるような穏やかさで持って言う。「お兄さんは只、当り前に当然の事をしただけなんだから。」

「手を差し伸べてくれてありがとう。それじゃぁ、縁さえあればまた明日とか。」

立ち上がり、服にしみ込んだ泥水を適当に絞ってからそう言ってまた笑む。そうして踵を返そうとしたその女に、今度は反射ではなく確かな意志で持って、動く。ぱしっ。歩き去ろうとする女の手首を掴み、僅かな力を込めて引きこちらを向かせる。そうして振り返ったコイツの目を見付け、再び感じた不快さを押し殺し、言う。

「悪かった。」

ぐ。掴んでいた腕を握る手に僅かに力を込め、この女の眼を真っ直ぐに見据えた。そうすればコイツは驚いたようにデカい眼を更に零れそうな程に見開かせて、瞬き。だが直ぐに俯くと、さっきまでのテンションはどうしたと言いたい程にか細い声で「あ、ありがとう」とだけ告げて俺の手から逃れると、タッと背を向けて郊外へ走って行った。
その後ろ姿を何とはなしに見送って、だがアイツの腕を掴んだつかんだ自身の左手を見下ろして眉を寄せた。

「船長?どうしたんですか?」

そんな俺の様子を今まで黙って見ていたペンギンが、至極不思議そうに聞いてきた。・・・実際あの女に敵意も何も無かったからな。コイツには俺がアイツに差し出した手を意味も無くひっこめたようにしか思えないだろう。それを思う片隅でペンギンへ一瞥をくれてから息を吐き出した。・・・吐き出した息は思っていた以上に重苦しく、どうしたか、なんてのは俺が1番聞きてェと毒付いた。なんだったんだ、さっきのは。ただ、分からないまでも嫌になる位に感じていた事実が1つ。

「・・・・・・気持ち悪かった。」
「は?いや船長、流石に女の子にそれは・・・」

言い淀んだペンギンだったが、俺の顔を見てさっきの言葉の本気を理解したんだろう。それ以上言葉を続ける事は無かったが・・・俺だって解せねェ。自分で手を差し出しておいて、だが1度アイツが触れそうになった時に振り払った事。再びアイツに今度は俺から触れた時、それをするのに冗談みたいに気力を振り絞った事実。

「俺は今まで、あれほど気持ち悪いと思ったモノを見た事が無い。アイツの手が俺に触れた瞬間、冗談や比喩じゃなく、自分の腕を斬り落としたいとすら思った。余程の事がない限りは二度と関わりたくもねェな。」

それでもどうしても関わらなきゃならねェなら、その関係次第では二度と関わらなくて済むようにしたいとも思った。・・・そうだな。例えば、意味も無くムカつく奴ってのが稀にいる。だがそいつを見た瞬間、何もしていないそいつを突然どうこうしてやろうとは思わない。だが、まぁ嫌な奴に好んで関わりたいとは思わない。だからなんとなく関わらないようにする。
アイツへ感じ、思ったのは、その感覚をより悪質に、より強烈にした感じのものだ。あんな奴もいるのかと、世界の広さを痛感させられる程に強烈な個性とも呼べるだろう何かを持った女。      だが。それでもアイツに何かを感じた事も事実なのだが。

まぁ、そこまで説明する事はなかったが。それでも俺があの女に感じた"感想"を告げれば、「・・・能力者ですか?」と問われたが・・・「いや、そういうもんじゃねェ。」実際にあの女が能力者かどうかは別として、それでも違う。

「何か、もっと・・・」

言いかけて、しかし直ぐに「いや、何でもねえ」と告げて右手で帽子を目深に被って口を噤む。さっきアイツに触れた手が、未だに疼く。得体の知れない薄気味悪さが、指先から全身を蛇みたくゆったりとズルズル這い上がってくるような。その感覚を振り払うように左手を強く握りしめてからふ、とその力を抜いた。
海楼石とは違う。・・・いや、正直。アイツに触るくらいなら海楼石か海に落ちた方がずっとマシだとさえ思えたが。

其処まで思って一息吐いた所で、そう言えばと。普段ならさっきの俺がアイツにした不逞に1番に文句を言ってきそうなベポが、しかし一言も声を発していない事に気付いて顔を向けた。・・・向けて。まるで怯えたように毛を逆立て、未だにあの女の去って行った方向を威嚇するように睨んでいるベポに眉を寄せた。

「ベポ、どうした?」
「・・・・・・・・・ううん、なんでもない。俺、アイツ嫌い。」

一度何かを言いかけ、しかし直ぐに言い淀んでからきっぱりとそう言い切ったベポに、少なからず驚いた。初対面の、それも別段悪い事も逆にいい事すら何もしていない人間の事をこんな風に言ったのは初めてじゃないだろうか。それに俺の感じたあの感覚も合わせ、確かにこう言った感覚的な事は人間よりも動物の方が遥かに優れているだろうと口を開こうとした時。少し離れた場所にある店の中から、1人の老人が慌てたように飛び出して声を張り上げた。

「お、おい兄ちゃん・・・!」

その突然向けられたいっそ悲鳴じみたその声に「あァ?」と視線を向ければ、冷や汗を浮かべた青白い顔が其処にはあった。そいつは俺に声をかけてから辺りを伺うように視線を彷徨わせると、僅かに潜めた声で「悪い事は言わねェ。何の為にこの島に来たのかは知らんが、とっとと出て行った方がいい。」なんてぬかしやがる。忠告のつもりなんだろうが、余計な世話だと踵を返そうとした時。そいつが言った言葉は、正に俺達が求めていた"答え"に触れるものだった。

「あの女は、魔女だ・・・!」
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