輪郭のない世界
「俺は・・・負けたのか。」空を仰ぎ見て、憎たらしい程に蒼く澄み渡った世界の下で囁いた声は馬鹿みたいに弱々しくて。俺は俺の身体を包むように積もった雪の中。その冷たさも、全身を貫く痛みすら麻痺し始めた身体に鞭を打ち、冷たく硬い地面の上で右手を伸ばした。・・・掴みたい物が、あった。何れ必ず手に入れてやると、そう誓った。母から受けられなかった愛を与えてくれたあの街の、あの国の、民も、家臣も、全部を守れる国主になりたかった。アイツ等が笑って生きれる世を作りたかった。なのに、今はそれが、こんなにも遠い。掴める筈も無い空に伸ばした手をギリギリと握り締めて、それを大地に振り下ろす。

やわらかく白い雪を押し潰した拳はそれでもダンッ!と音を立てて叩きつけられた。だがこの蒼く、白い、何も無い広い大地に、この音は簡単に溶けて消えた。あぁなんて、無様だ。

死ぬ、つもりだったのだ。俺は・・・俺達は、負けたんだ。当然、負け戦だなんて思っていなかった。それでも、最後の最後。せめて俺だけはと俺を逃がそうと命を賭して戦った部下達を前に、どうして俺だけが生きられる?そんな事が出来る筈がないだろうと。民がいてこその、俺なのだと。お前達がいてこその俺なのだと。お前たちすべてを失って、俺に一体何を守れと言うんだと。ただ静かに涙を流した部下を前に、せめて俺は俺に付いて来てくれた部下達の為に、最後はこの首を討たれるまで戦い続けるつもりだった。なのに、この様は何だ。皆死に絶えたその中で、どうして俺だけがこうしておめおめと生きさらばえている?

「・・・よォ、お前は・・・どうしてだと思う?」

ザァ、と。一陣の風が吹いた。雪に埋もれて倒れた俺の前に1人、子供がいた。ぐ、と腕に力を入れて肘で上体を起こして横の枯れ木に背を凭れさせたが、もう顔をあげる力も無い。「ぅ、」と漏れた呻き声に、静かに俺を見ていたその子供が僅かに目を細めた。黒髪をさらさらと流したその子供は、そっと静かに囁いた。

「・・・助けられたのは、貴方だけだった。ごめんなさい。」



(・・・本当は、最後まで、迷った。)
その言葉は、口に出す事は無かったけど。その私の言葉に、彼はまさか、っていう表情を作ったのが分かったけど、動じなかった。事実だし、それに、そう思われても仕方ない。彼にとっては私は只の子供で、それ以上でもそれ以下でもない。それでも、あの戦場の中。どうしても見殺しにする事が出来なくて、それが彼の矜持に反する事だと、信念を打ち砕く物だと知っていながら、私の使役する妖魔・・・使令に命じて、彼だけを浚って逃げた。

「どうして、・・・俺を、」
「私も政宗に、助けてもらったから。」
「HA!お前は死にたくて雪山で寝てたわけじゃねェだろ?それとも、死ぬ気だったのか?」
あちら(・・・)の国から、この蓬莱・・・日本へ来た時。私はこの奥州の雪山で発見されて、救われた。それを思って言った言葉に返された政宗の言葉に、私は彼の顔をじ、と見つめたまま「貴方、死ぬ気だったの。」と問うた。けれど彼はそれに応える事無く空を見上げて、その喉を震わせた。

「若と呼ばれる度に、よろしくと言われている気がした。・・・国をよろしく。我等をよろしく、ってな。      だが、守ってやれなかった。」
「貴方の所為じゃない。」

国力が足りなかった。兵が圧倒的に不足していた。どうあっても勝てる筈は無く、でも敵方は和議を結ぶ気が端から無かった。どうしようもない事だったのだと、そしてそれは彼にだって分かっている筈だった。だから彼はやはり「俺の所為じゃねェな。・・・仕方なかった」と、そう答えたけれど、

「じゃぁ、しょぼくれる必要なんかないじゃない。貴方は出来るだけの事をやった。」
「俺は世継ぎだから、城下の連中にちやほやされて育って来たんだ。」
「それは、」
「若、と呼ばれる度に、一緒に託されたものがある。ひと声ごとに託されて降り積もったものを、俺は連中に返してやれなかった。」

「・・・もう、返す術がねェッ」と。続けられた言葉は掠れて、なのにそこに乗せられる感情は恐ろしい程に顕著だった。彼は空を見上げたまま、私の方を一切見ようとはしなかった。・・・けれどその逸らした胸が大きく息を吐くのは、傷が痛む所為なのかもしれない。彼の傷は、どう見ても・・・軽いものじゃない。

「連中の願いだ。俺はそれを一身に背負っていながら、もう降ろす術がねェ。生きている限り意味も無く背負い続けていかなきゃならねェ。・・・いくら能天気な俺でも、嫌気がさす。」

彼を包むようにある雪は、確実に政宗の体温を奪っているだろう。そして彼の周りの雪が白から恐ろしい程鮮やかな赤に色を変えている事にも気付いている。なのに、この期に及んで私はまだ、迷っている。私は、雁国の麒麟。そして彼は、         雁国の王、延王だ。
だけど私は未だに決めかねている。彼をあの国に連れて行くべきか、否か。私はこの日本で生まれて、育った。けれど4歳の時に起こった戦が原因で、4歳の時に貧しさから親に捨てられた。その時に、知った。・・・王は、国を壊すものだと。王は国を壊して、民を虐げて殺す。だから、王様なんていない方がいいって、そう思ったのに。なのに皮肉にも、私は王様を選ぶ生き物だった。

それを考えて、もう1度、政宗を見た。
その傷は、とても深い。ああしていても相当苦しい筈で。・・・それとも、もっと苦しい物に蓋をされて、自分でも気付いていないのだろうか。だけど、それは確実に政宗の命を削っている。私が迷えば迷うだけ、彼は死に近付いてしまう。      そしてきっと、私は彼を見捨てられない。きっと助ける為に、政宗に死なない命を授けてしまう。・・・私は、彼の、麒麟だから。・・・、

「・・・貴方、国が欲しい?」
「欲しいな。」
「豊かでも無く、やせ細った国でも?」

私のその問いに、彼はようやく空から下におろした。「Ha!関係ねェ」何処かやつれた顔に、けれどその顔は、私を助けてくれた時と変わらない笑みを吐きだしていた。「俺は国を継ぐべく育てられて、実際に親父から国を継いだ。国のない殿様なんざ、お笑い草だ。」

「国土が荒廃すれば、人の心も荒む。人心は惑って、貴方の言う事なんて聞かないかもしれない。」
「そんなもんは俺の甲斐性だろう。」

事も無げに、返された。けれど、それを納得する事は大変で。その甲斐性を得る事が、苛酷なのだと。私なんかが言わなくても、彼はきっと、全部知っているんだろう。・・・そうして事実。彼は家臣に、民に、慕われていた。きっとそれは彼が若だからって理由だけじゃなくても、もっと、彼の根本的な所で・・・。

「・・・城をあげようか。」
「お前がか?」

「国と民を上げてもいい。      貴方にやる気があるのなら。」
「何処の国だ?」
「言っても貴方には分からない。もし貴方がそれを望むなら、貴方は全てに別れを告げなければならない。」

言った私に、彼は苦笑して見せた。そうして「別れを告げなきゃならない程のもんが、俺に残ってんなら、教えてもらいたいもんだな」と。そう問うた彼に、1度開いた口を、閉じた。けれどまた直ぐにそれを開くと、1度伏せた眼を開いて彼を真っ直ぐに見据えた。「この奥州の悠久の地にも戻れない。」

「それでも良ければ、貴方に一国をあげる。・・・玉座が欲しい?」
「欲しい。」

それは確かな、意志だった。何の迷いも淀みも無い、真っ直ぐな。
私はその言葉に、頷くと、彼の足もとへ向かった。そうしてそこで膝を付い、深く頭を垂れた。

      天命をもって主上にお迎えします。これより後、詔命に背かず、御前を離れず、忠誠を誓うと、誓約申し上げる。」

言った私に、政宗が「、?」と、不思議そうに私を見た。左目しか無い隻眼を瞬かせて、真っ直ぐに私を見つめている。「国が欲しいと言って」頭を深く下げたまま、けれど視線は真っ直ぐに彼のその眼へと向けた。「私を臣に迎えると。貴方が期待を背負っているなら、私が国を背負ってる。」だから、どうか      。・・・その先の言葉は、言わなかったけれど、

「・・・臣に迎える。ただし、必ず一国だ。城だけでも土地だけでも許さねェ。You see?」

私は首を垂れて、彼にぬかづいて彼の望む者を与えた。王宮と折山の荒廃に晒された土地と、僅か30万の雁国の民を。
豊かに、なったなあ。
あのやせ細って、ただ滅びるのを待つばかりだったこの国が。400年前、政宗をこの国に連れて来た時。初めてこの国を見せた時、私はあの人の顔を見れなかった。国をあげると言った。あの言葉に嘘はなかった。私は確かに彼に一国をあげたけれど、それは一国というには余りに拙い。骨と皮ばかりしか無い、そんな有様だった。土地は荒れ、多くの民は他国へ逃げるか死に絶えて、それでも必死に生にしがみ付いている者達ですら、明日があるかの酷い有様だった。「見事に何もねェな」その通りだった。

「Zeroから一国を興せってか?         こりゃ大任だな。」

一向に難儀を感じていない様子で、彼は言った。その声に、思わず顔を上げて彼の顔を覗き見た。・・・あげると約束した国は既に傾いて、既に治めるべき民も土地も無いに等しいのだと。それでも欲しいと言った彼は、けれどこれ程の荒廃とは思っていなかったに違いないのに。嘆くか、怒るか。そう、思っていたのに。

「Ha!こんだけ何もなけりゃ、返って好き勝手出来て、いっそやりやすいってもんだ。」

それを見てあっけらかんと笑った彼に、何故だか、涙を流した。そうして、






「Hey honey!どうした?」
「・・・ううん、べつに。」

あの時私に掛けられた言葉と、全く同じ言葉で彼は私にそう問うた。最も、今私は泣いていないけど。

・・・あの時。どうした、と。そう私に言った、あの大らかで柔らかい声を、今でも覚えている。押しつぶされそうな程の重量で肩にのしかかっていたものがあったのだと、その時にようやく気付いた。そして、もうそれを1人で背負わなくてもいいのだと。あの時感じていたものは、肩に感じるこの人の掌の重みだけだった。生まれてから13年。その間、あまりに重い一国の運命を、任せるべき相手にゆだねる事が出来た。
あの時は、それを、良きにしろ、悪きにしろ、と。そう思った。でも、

「あれから、400年経った。400生きても、まだ納得できる国が出来上がらねェ。それでも、あの何も無い大地から積み上げてきたこの場所が、俺の国だ。俺が作り上げてきた国だ。」

茶色くひび割れた、一面が焦土だった大地が、今ではこんなにも潤い、緑にあふれ、そして何より沢山の命に溢れている。それを見下ろす私に「俺の作った国はどうだ、」と。あの時と何も変わらない笑みで私の肩に手を乗せた政宗を見上げた。「・・・うん。嬉しい。」それは、泣きだしそうな程。

「これから豊かになるばかりの国で、皆が笑って生きていられる。麒麟が民の意志の具現で、私は今、笑ってる。それが民の意志なら。私はこれ以上ない程に、今、幸せだよ。」

あぁ、どうしよう。あの時と違って、今はもう、泣かなくてもいい筈なのに。
それなのに、溢れだそうとするそれを、止められない。

「私、・・・この国の麒麟でよかった。」

この優しいばかりの国の真ん中で。その優しさに包まれ生まれ、育った人たちの幸せが伝わってくる。その温かいぬくもりに包まれて、頬を伝った熱を拭った政宗が笑った。その隻眼は出会った時と何も変わらず鋭く力強くて、今でも少し怖いと感じる事もあるけれど。その中に確かにある意志と、強さに。この人なら、きっとずっと大丈夫かもしれないと。さらり、私の髪を撫ぜるその心地よさに目を伏せた。「そりゃ最高の口説き文句だな。」
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