世界はじゅうぶん美しい。
「どうしてそんな、・・世話、やいてくれんの?」

誰もいない終電の電車の中。あの場所から動く事の無かった彼は当然この乗り物も見た事はなかったけど、それでもその興味を遥かに上回る不安や焦燥に、その他にもある佐助くんにとっては未知の数々について、ひとつも口にする事はなかった。そんな彼が私の隣に座ってぽつりと零したその言葉を聞き逃す事無く、私はそんな彼ににこりと笑んで。ほんのささやかな真実を隠して、けれど真実を、言う。

「君みたいなどうしようもない魂を何とかしてあげるのもシャーマンのお仕事だからね。それに、」
「それに?」
「私ね、綺麗な魂が好きなの。つまり気に入ったんだよ。」

その私の言葉に「変なの」なんて言いながら、それでも「ありがとう」と声を空気に溶かした佐助くんは俯いた。だから私はその彼から目を逸らして、正面の空の座席のすぐ上の窓に目を向ける。けれどそこには私の姿しか映らない。隣に確かに座っている魂はけれど、それがもう、彼がこの世にはいないという現実を如実に語っていた。
けれど確かに感じる魂の温度をその身に焦がしたまま、彼は空気を震わせる事の無い声でもって言う。「アンタはさ、」

「400年・・・待っていて、くれてると思う?」
「それを私に聞くのは卑怯だよ。」

彼の1番言って欲しい言葉は分かっていたけど、私は敢えて1番言って欲しくないだろう言葉でもってその問いに返した。だけど「でも、そうだね」と。そんな弱々しくて卑怯な佐助くんに、飴と鞭を、あげよう。

「魂は似た波長の者同士が惹かれあう。逆に言えば、どんなに近くに居ても一生縁も無いまま過ごす事の方が殆どなんだよ。それでも無くても魂は難しい。どんなに会いたいと思っていたって、どんなに直ぐ近くに居たって、心がすれ違えば永遠に出逢わない事の方が多いのが現実なんだよ。」

その現実を言えば、佐助くんは益々持って眼を伏せて俯いた。
膝の上に乗せた両の掌は固く握られて、血でも滲んできそうなくらいだった。だから、

「君は、彼と繋がっている自信がある?」

その言葉に、ゆるゆると私に顔を向けた。忍者に感情なんていらない、なんて。よく言えたものだと思うくらい、佐助くんは心を無防備な程に身体中から曝け出してる。きっと、生きてる時でもこんな事、なかったんだろうなあ。でもきっとこれは、良い事だから。例えその心が、哀しいばかりの情けないものだとしても。だから私はそんな佐助くんに、にこりと。いつもと同じ、笑顔を向けた。

「待ち合わせ場所のある君は、幸せだね。」
「・・・うん、」
電車から降りて、もう随分経った時。タクシーで立ち入り禁止の看板の立てられた木々生い茂る山の前まで乗せてもらい、それからはひたすら真っ暗な林をざくざくと迷いなく進んでいく佐助くんの後を着いていく。この場所は、佐助くんと彼の人が偶々休暇を使って探索に行ったという場所らしい。道のりこそ険しいものの、この山を登った先にある景色は美しく、また、この場所で一緒にその景色を見ようと、そう約束をしていた場所らしい。

そんな場所をただただ無言のまま、敢えて佐助くんを前に歩かせてその、徐々に遅くなりそうな歩みを必死に叱咤しているであろう彼に、私は不意に、切り出した。「もし、」これは私からの、ほんのささやかな意地悪だ。

「もしいなかったら、呼んであげようか?」
「・・・え?」
「呼ぶ事も出来るよ。口寄せって言ってね、例え成仏した霊だって、転生さえしてなければ何処にいても何時でも呼び出せる。」

立ち止まり、振り返った佐助くんに目を細めて私もまた歩みを止める。まだ彼の口からその人の名前すら聞いていない。それでも「呼んであげようか?」と。何処までも優しい声と顔とで問いかければ、佐助くんの魂が目に見えて揺らいだ。そうして暫くの逡巡の後。佐助くんは何かを言い淀むように口を動かして、けれど直ぐにそれをきゅっと引き締めた。そしてその口をやんわりと開くと、ゆったりとした、笑みを、浮かべて見せた。「・・・いや、いいや。」

「もし、さ。いなかったら。それは俺様に愛想尽かしちゃったって事じゃない。・・・そんな大将になんて、会えないよ。」

「それに、流石にそこまでの勇気、俺様持ち合わせてないしね」なんて。そう言って苦笑して見せた佐助くんに、ようやく私は本当の意味で、笑んだ。私は今、確かに、嬉しかった。「そう」囁いて、私は私を見て「今、アンタ俺様を試しただろ」とようやく気付いたそれに不服気に眉を寄せた佐助くんにあははと笑って、未だ立ち止まったままの佐助くんの隣に歩む。

「そんなに怖い?待ってもらえていない事実は。」
「怖いよ。人目が無かったら布団かぶって蹲ってたいくらい怖い。」

おどけて見せる事が出来るくらいには決意が固まって来たらしい佐助くんに、だから私も「格好悪いね」なんて返す。そうすれば佐助くんは言い返すでもなく「そ。格好悪いのよ、俺様。」と頬を掻いた。でもその余裕がから元気で、その佐助くんの指先が震えている事も、知っている。だからあえて、冷たい事を、言ってあげる。

「自分だって散々その人を裏切って来たんでしょう。だったら覚悟を決めて諦めなよ。」
「分かってるよ。」

今まで散々自分を甘やかして、先延ばしにしてきた問題に向きあわさせる。だけどそろそろ虐めてあげなくても大丈夫かな、と。その場所に近付くにつれて、徐々に穏やかに静かになっていく佐助くんの魂に、頬を緩める。あぁ、君も、ずっとこの場所で、会いたかったんだね、と。さらり、さらり。そよぐ風にもう二度と靡く事の無い佐助くんの髪が、佐助くんの歩みに合わせて揺れた。

「綺麗な髪だね。」
「は?」
「夕焼けみたいに燃えた色。戦国時代じゃ、地毛だったんでしょう?」

問いかけて。そうしてその答えを聞く前に「綺麗だね」と続ければ、佐助くんは「な、なに行き成り・・・」と目に見えて狼狽えた。きっと、あの時代じゃこの色は気味悪がられたんだろうな、とか。だからこんなにきれいな色なのに、褒められる事なんて無かったんだろうな、とか。「思った事を言っただけだよ」色々思う所はあるけれど、だから、

「君は、なんか、っていう程魅力の無い人じゃないって言う事。」
「ぇ、」
「忍である俺なんかを、友だって言ってくれた人と。だから、」

「自分の事をなんか、っていうのはやめなさい。」

真っ直ぐ佐助くんの目を見据えて言った私に佐助くんは何かを言いかけて、けれど開いた口は声を発する事はなくて。私は佐助くんが何かを言う前に佐助くんを追い越して先に進む。ざくざくざく。パキバキと靴が枝や砂利を踏み締めて、けれどようやく開けた場所が見えた時。私は隣の一際大きい木に手を添えて、佐助くんを振り返る。もう遠くの山は、朝靄をかけて白んだ空を作っていた。夜は、開けようとしていた。

「さぁ、着いたよ。君の、」






「きみたちの、約束の場所に。」






ざぁ、と。風に揺れる木々のざわめきに、けれど決して揺らぐ事の無いひとが、いた。ただジッと、崖の縁で立ち尽くして、東の空を見据えてる。長い茶色の髪は後ろで人括りにされて、特徴的な真っ赤な鎧姿はけれど、半透明で遠くの景色を透かして見せる。その人は、幽霊だった。ただ、

「た、たい・・しょ・・」

佐助くんが、誰よりも会いたかった・・・ひと、だ。
ぐらぐら、と。震える声で、足で。歩み寄り、縋り寄る。頼りない。だけど、行く先は、決まってる。

「たいしょ・・、・・・・・・んな、」

赤が、振り返る。さらり。長い髪を揺らして、綺麗な・・・淀み無い大きな目が、真っ直ぐに佐助くんを見据えた。
じわり。滲んだ佐助くんの眼は、それでも真っ直ぐに彼を見つめていた。

「旦那、・・旦那っ・・・真田の、旦那ぁっ」

ざりっ、と。生きていたなら、地面を踏み締め彼の      真田幸村その人の前に崩れるように膝を着いた時に鳴ったであろう音も、しない。彼等が生きている音は、何一つしない。なのに、それなのに、

「お、俺っ・・・おれ、様・・・ッ」「佐助。」

ふわり。蒲公英の綿毛が空を舞うようにささやかで、穏やかな声。
2人の声は、こころは、確かに今、

「待ちわびたぞ。」

生きている。

そっと静かな、けれど湧き上がる喜びを隠しきれない。そんな、笑みで。
そのいっぱいの笑みを向けられて、佐助くんは地面に付けた拳を震わせた。「ぅ、・・」


「うぁあああああああ         ッ!!!」


両手で顔を覆って吐き出した。そんな佐助くんに、幸村くんもまた、ぼたぼたと零れるそれをそのままに、佐助くんを抱きしめた。かたくかたくつよく。佐助くんはそんな幸村くんに縋りつくように益々泣いて。2人して、迷子になった子供が、ようやく自分を見つけてくれたお母さんに縋りつくみたいに。言葉なんてなかった。きっと、そんなもの無くても繋がるものがあるんだろう。

ざわざわと。風に揺れる山の木々がざわめいて、世界は、こんなにも綺麗だった。そんな狭く小さい世界の中で、この魂が巡り合える必然は、どれ程の偶然によって生まれたものだったんだろう。この2人を400年もの間繋いでいた絆とは、どれ程の強さで持って繋がっていたものなんだろう。その、ほんのささやかな魂の出会いに、大の大人が、2人して。大声を上げて、子供みたいに泣き喚く。このずっと先に見える上田城。そこを行く人達は、この2人の姿はおろか、声だって聞こえてない。だから我慢なんてしないで、全部、吐き出してしまえばいい。

400年ずっと閊えてきた想いも言葉も痛みも涙も苦悩も何もかも。そうして全部なくなったその後で、2人で、「殿。」


「ありがとう、殿。」


そう言った目の前の優しい魂は、・・・魂たちは、これ以上ない程の、笑顔で。
どんなに控え目に言っても綺麗とは言えないその顔で。けれど、

そうして泣いて怒って抱きしめて、最後に笑いあう。私はこの限りなく優しい魂の結末が、みたかった。






これは死者と、あの世とこの世を繋ぐ、物語。         シャーマンと言うひとの、物語。
Date::110507 ...Thank you Before story