閉じかけた世界に。
じゃり、じゃりっ、と。ここ数日で慣れた道のりを歩いて目的地に辿り着けば、頭上から「アンタまた来たの?今度は何?」っていう、この道のり以上に慣れ久しんだ声。それに笑んで『今日の』箱を開けて、その中身が木の枝の上に座ってこっちを見下ろす佐助くんに見えるように傾ける。そうして「今日はラデュレのマカロンだよ」と答えれば、そんな私と箱の中身を見て「まかろん・・・」と呟いてから彼は音も無く地面に飛び降りた。そうして近くでそれをマジマジと見て改めて「うわぁ・・・」なんて盛大に顔を歪めた彼に笑ってしまう。

「なんか・・・凄い毒々しいけど、食べれんの?っていうかホントに食べ物?」

赤青紫緑黄桃と色とりどりのマカロンは、確かに昔の人からすれば不気味に見えるかもしれない。そんな佐助くんににこりと笑んで、私はいつもみたいにこの場所にこれを置いて手を合わせる。そうしてからその中から取り出した赤色のそれを摘まんで有無も言わせず佐助くんの口の中に突っ込んだ。そうすれば「んぐっ?!」なんて面白い顔で面白い声を上げた佐助くんにあははと笑う。その所為でジトって睨まれちゃったけどね。

「・・・この時代の女は暇なんだね。」
「暇じゃあないよ。でも、今は君に会いに来る方が楽しいからね。」
「・・・・・・・・・、そう。」

むぐむぐと口の中のマカロンを咀嚼して、しっかり中の物を飲み込んでからそう嫌味を口にするあたりお行儀はとても良いらしい。

この目の前に居る猿飛佐助という幽霊は、もう400年もこの場所で霊をやっている戦国時代の忍者の幽霊らしい。だけどその割に佐助くんは何故か迷彩柄のとても派手な服装に、とても綺麗なオレンジ色の髪をしている。忍者って言う位だからもっと目立たない色柄の服で、もっと言えば髪だって地味な色に染めた方が良いんじゃないかなあなんて。これじゃあきっと目立つだろうなあと、それに目を向けながら首をかしげて見せた。「ねえ、」

「君って本当に忍者なの?」
「そうだよ。戦忍だった。」
「戦忍?じゃあ誰かに仕えてたんだ?」
「・・・・・・・・・わざと聞くの、性格悪いぜ。」

そう言う割に大した不快感も感じていないらしい佐助くんは私のその言葉に皮肉気に笑うと、はあっと溜息を吐きだした。だからそんな彼の「ま、こんな場所にいりゃ馬鹿でも分かるか」って、妙に納得した風な言葉に「それに、真田十勇士は有名だからね」とさっきと同じ調子で答える。真田信繁・・・もとい真田幸村は猿飛佐助、霧隠才蔵、根津甚八、由利鎌之助、筧十蔵、三好清海入道、三好伊三入道、望月六郎、海野六郎、穴山小介の10人の忍者。つまり真田十勇士を従えていたって言うので有名だ。それに真田領の近くには確か、戸隠の里のなんて忍者の里もあった気がした。

だからこそのその答えにだけど「でも、実在するとは思っていなかったよ」と付け足せば、佐助君は「どういう事」と言って眉を寄せた。だからそんな彼に私はふふっと笑って箱の中のマカロンの中から・・・妥当な茶色の色のそれを掴んだ。

「猿飛佐助っていう伝説の忍者は、この時代では架空の人物だからね。」
「そりゃ、忍明利に尽きるって奴だね。」

そう答えた彼に、けれど私は今度は笑わなかった。だからその代わりに「心にもない事を言うんだね」とシレッと放って、それに「は?」と私の方を向いた彼には答えず、指先で遊んでいたマカロンを半分に割ってその片方を口の中に放り込んだ。そうしてそれを正しく飲み込んでから彼に目線だけを向けて問う。

「きみ、戦忍なんでしょ。泰平の世を目指す君主に仕えるって、どんな気分だったの。」
「なに?」
「戦忍は戦が無きゃ生きていけない。なのに戦をなくす為に戦うって、どういう気分?」

問われた言葉に、彼はぱちりと瞬いた。だけど直ぐにその目を細めるとその目を所無さ気に逸らして彷徨わせると、はっきりしない声調で「・・・別に、」と零す。

「忍に感情は無用だよ。俺様はただ自分の仕事をしただけさ。それに、戦はどうせ、なくならない。」
「ふぅん・・・それで?」
「は?」
「だってそれは忍者の建前じゃない。君の心はどうだったのかを聞いているんだよ。」
「だから忍に感情は、」
「嘘だね。」

言いかけた彼に、言い放つ。そうすれば佐助くんは僅かに目を見開いて。
けれど私は言葉は止めてあげなかった。

「君は確かな感情の意志でもって生きていた筈だよ。だから君は、此処に居る。」
「・・・何?どういう事?」
「死んで400年も経つのに未だに成仏も出来ずにこんな場所に居るのは、君に後悔があるからだよ。」

「心ない人形は後悔をしない」と。そう言って彼の動いていた筈の心臓に人差し指と親指を銃に見立てて指せば、佐助くんは唇を噛み締めた。それはほんの些細な、ほんの瞬きの内に消えてしまった変化だったけれど。けれどその変化に確かな真実を見た私は、再び、問う。「どうして君は、400年も此処に居たの。」



           ・・・約束を、」

暫くの、沈黙の後。ぽつり。酷く弱々しくささやかに空気に溶けた言葉は、確かに私の耳に届いたけれど。それでも「なあに?」と問い返した私に、佐助くんはさっきよりも僅かに。ほんの微かに強く、それでもはっきりと、言う。「約束を、したんだ。」

「心ない命令なんかじゃない。俺を・・・忍である俺なんかを、友だって言ってくれた人と。だから、」

徐々に語尾を小さく、最初のような声で吐き出して。それでも何処か尻すぼみとは違うその声調で、最後まで「だから、待って、・・るんだ。」と。最後、そうはっきりと言った彼に。私は「ふぅん」と。気の無い声しか返さなかった。だけどそんな私に、彼は何も言わない。私も彼も、何も言わないまま、随分な時間を気まずさすら感じられないこの空気の中で浪費した。・・・そうして、

「所で君は人を待っているって言っていたけど、待ち合わせの場所は此処で本当にあっているの?」
「・・・何が言いたいわけ?」

もう数分、数十分は優に過ぎている時間の後。問うた私の言葉に、それでも戸惑う事無く返されたその言葉に、ようやく私は佐助くんの眼を見据えた。もうずっと言葉は途絶えていたけれど、私の中でも彼の中でも、この話は終わってはいない。「2人がお互いを待ち続けているのに、待ち合わせ場所を間違えていたら永遠に巡り合う事なんて出来ないよ。君達は携帯電話なんて便利な物を持っていないんだから。それとも、」

「それとも何か。彼に会いに行けないやましい理由でもあるのかな?」

と。そう何の温度も込めない声で、けれど皮肉を込めて問えば、佐助くんはカッ!と顔を赤くして眼を見開いて・・・まるで、「俺様は自分の仕事を全う出来なかったなんて思っちゃいない!!」まるで、悲鳴みたいな、声で。「俺様は正しく任務を完遂させた!」叫んで、叫んで。・・・それは、とても「やましい理由なんて何もない!俺様が旦那に会いに行けない理由なんて何もない!!」忍という、いきものじゃ、なかった。まるで、忍びの皮を被った、人の、よう。      それでも、

「それが、彼を守れなかった事に対する言い訳?それとも、」

それでもこれが、彼の本音なら。
彼が400年ずっと抱えていた想いなら。それは酷く、

「待ち合わせ場所を知っているのにそこに行かない、臆病者に言い聞かせる為の方便かな?」


         空しい。


「守らなけらばいけなかった人を、守りたかった人を守れずに。自分の所為で死んだその人が、律儀に自分を待ってくれてるわけがない。未だに忘れられない大切な人にとって、自分が大切じゃなくなってることが怖いんだよ。君は、その約束の場所でその人が自分を待ってくれていない事実が怖いだけだよ。」

想いはいつだってたった1つだけではいられなくて。どんなに大きな決意もどんなに大切な約束もどんなに千切り難い絆も、色んな想いや葛藤の中で雁字搦めになって、そうしてどんどん歪んでいって。やがて、今、前の前に居る彼みたいに、独りになる。それでも、たった1つ。幾千百の年月を経ても揺ぎ無いものは、確かに彼の胸の中にある筈なのに。だから、

「いいじゃない。」

言った言葉に、佐助くんが私を見た。
その顔はまるで、・・・まるで、

「無様で、格好悪くて。命より大事なご主人様を守る事もできなかった君にはお似合いじゃない。」

迷子の、子供みたいで。

「言い訳をする事は悪い事じゃない。期待が裏切られる事に怯える事は、普通の事だよ。」

実際彼は、迷子なんだろう。いい年をして、400年もの永い間、行きたい場所に行く事の出来ない。
帰るべき場所にも帰る事の出来ない、可哀想で、不毛な魂。
でもそれって凄く、耐え難いくらい、哀しい事だから。      ねぇ、もう

「泣いちゃえ。」

ぐらり。目の前の不安定な魂が、揺れて乱れたのが、分かる。
我慢なんてしなくっても、いいのにね。

「泣いちゃいなよ。怖くて怖くてたまらなかったんでしょう。」
「ッ、アンタに何が・・っ「佐助。」

呼んだ声に、沈黙。きっと今彼は、思い出している。・・・いや、多分。





「泣いちゃえ。佐助くん。」忘れた瞬間なんて、無かったんだろう。





ぼろっ。
今までせき止めていた何かが。もう400年。ずっと無くしていたものが、落ちる。あぁ、なんだ。いい年をした、長く長く生き続けた、この場所にあり続けた魂。もうとっくに無くしてしまっていたと、きっと彼自身も思っていたんだろう。それがいま、こんなにもあっけなく。こんなにも沢山、溢れている。「虫が良すぎるって、分かってんだ」      張り裂けそうな、過去。

「400年間もずっと大将の事蔑にして、大将がくれた約束を投げ捨てて。只馬鹿みたいにあの場所に立ち尽くして過ごしてきて、なのに、今更って・・でも、」

彼が、世界で1番不幸なわけじゃない。けれど、彼の世界は今、今までで1番、辛い場所にあって。
「あいになんて、行けなかった・・・ッ」

泣き顔は無様で、格好悪くて。とても綺麗なんて呼べるものじゃない。なのに、誰が彼を、汚いなんて言えるんだろう。こんなに綺麗な魂が、こんなにも長い時間。沢山の後悔や憎しみの中、それでもこれ程にその透き通った透明の色を守っていられたのは、どうしてなのか。「ずっといたんだ。ずっと、ずっと、ずっと・・・!あの人の為なら死ねると思ったっ、あの人の為なら生きれると思った・・・!!あの人の為に全部を、って、そう・・・」こんなに、この場所に哀しい想いに縛られ続けていたのに。

「大将を守る事が、大将と生きる事が、俺様の生きた全てだったっ!」
どうして、今まで悪霊にならないでいられたのか、不思議な程。けれど、

「お、俺様は、っ、・・その為に、いたのに・・・ッ!」
この、悲鳴のような、声。静かに漏らされる噛み締められたその声は、けれど確かに、彼の叫びだった。
だからきっと。それは、そう言う事なんだろう。


何で俺様を盾にしてくれなかったんだよ、旦那ァアア!!



どんなに悲しくとも哀しくとも。
それでも決して揺るがない、確かなものがあったから、彼は彼のまま、待ち続けていられたんだろう。






ぼたぼた。こんなにも悲痛に涙を流す人を、今まで何人見て来ただろうか。男の人の泣く所なんて、今まで何人、見て来ただろうかと。けれどそれでも今まで見て来た沢山の涙の中で、この人の涙はどうしてか綺麗で。ぼろぼろに顔を歪めて、漏れる嗚咽も涙も鼻水も、それでも無様な彼を格好悪いだなんて言えなくて、思え無くて。こんなにも彼に想われる人に、こんなにも彼が想う人に会いに行けない理由は、なんだろう。そんなにも大切だからこそ、手を伸ばす事の出来ない距離とは、なんだろう。
どうして人は、年を重ねるにつれて、大人になるにつれて。こうも不器用になるんだろう。分かり合えなくなるんだろう。だから、

「その場所に行こう。君の大切な友人と交わした、約束の場所に。」

そ、と。どうやっても触れる事の出来ないこの距離に、それでも伸ばしたこの手を触れさせて。この悲しくて、寂しくて、そうして優しい魂に触れてあげられる人を、想う。猿飛佐助という幽霊の、誰より会いたくて、誰より会いたくない。唯一無二の魂の、その人に。「そうしてその時」

「誰も待っていないその約束の場所を見て、全てに絶望して悪霊になってしまったその時は、」

ぐらりどろりふわり。
色んな想いと一緒に蓄積された、この眼の前の自縛霊。きっともっと、綺麗な魂だった筈なのに。今はこんなに歪んでしまったけれど、それでもその中にあるこの魂の"純粋"に、微笑んだ。


「私がちゃんと(・・・・)、"あの世"に送ってあげるよ。」



ありがとう。そう奥歯を食いしばって吐き出した。ぼろり。彼の流した涙はどうあっても、綺麗だった。
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