呼吸するミミズクの真夜中
もう随分この深い木々の中を登り歩いたけど、一向に疲れた様子を見せずに迷いなく前を歩く彼女に、はあと息を吐いてから目を向けた。人通りが全くないからだろう、道の無い山を、けれど確実に歩きやすい場所を的確に見つけて草木を踏み締めて歩いていくその様は、とても山を登り慣れているように見えて、けれどその実そうでもないんじゃないかと思う。彼女は登山家には見えないし、服装や靴も、普通の学生服のそれだ。けれど、ローファーでこんなにあっさりすらすらと歩き辛いこの道を歩けるのも凄いな、と。スニーカーの俺が転びそうになっているのを可笑しそうに笑う彼女に思った。
思いながら、ふと、思った。・・・まさか・・・怪、じゃ、・・ないよな?と。思って、ハッと彼女に目を向ければ、ぱちりと目があった。

「ふふっ。」
「?!」
「大丈夫だよ。私はちゃんと、ひとだから。」

正しく言い当てられて、かあっと顔が熱を持った。申し訳ないような、恥ずかしいような。・・・なのに居心地の悪くないバツの悪さが襲って、「ご、ごめん」と謝罪した。そんな俺に彼女は「気にしてないよ」と。だけどしっかり「ふふっ、そっかぁ、妖に見えたんだあ」なんて、ゆったりとからかうような調子で言うから、益々いたたまれない。

・・・けど、と。思う。此処の山は、彼女が穏やかな道を選んでくれているからなのか、そんなに険しい風には感じないけど。それでも肩で息をしている俺に対して、彼女の方は平気で笑って会話を楽しんでいる。その様子がなんだか、

「ちょっとちゃん!!」
?!!
「?」

思考の最中に突然上の方から聞こえてきた声に、びくっと肩を揺らした。確かに聞こえてきた大きな声に後ろを振り返って上を見上げれば、そこには恐らく成人しているだろう若い男性が高い木の枝に立って俺達の事を見下ろしていた。するとその人は音も無く俺達の目の前まで呆気ない程簡単に着地すると、真っ直ぐに彼女の方へ詰め寄った。「全く!」

「行き成りいなくなったと思ったらこんなトコにいたわけ?!せめて行先くらい言ってくんなきゃ心配するでしょーが!!」
「でも、見つけてくれた。」
「それは、・・・そうだけど、そう言う事じゃなくって!」
「ありがとう、佐助くん。来てくれるって思ってたよ。」

怒ってますよ!と言わんばかりの顔と声に、何より雰囲気なので、彼女の方は全くとしてそれを気にしていない風に朗らかに笑んでいる。本当、右から左に受け流してますって感じのそれに、男性の方は「・・・・・・・・・はあ。」と、諦めたように盛大な溜息を吐き出した。そうしてから彼はくるっと俺の方に顔を向けた。「んで?」

「そっちのヒトは?俺様の事見えてるみたいだけど、」
「夏目貴志くんだよ。」

しっとりと笑まれて、俺は僅かにその男の人に頭を下げた。そうすれば彼もまた「どーも」と、にーっこりと笑んで見せた。・・・だけど、なんか・・・うさんくさい?妙に営業中の名取さんを彷彿とさせる既視感を感じる笑顔に見えた。と。そんな事を考えている俺の事なんて知った事じゃないのか、彼はパッと彼女の方に顔を向け直した。

「・・・どうせ"あそこ"に用があるんでしょ?とっとと行ってとっとと帰ろーぜ。旦那達も待ってる。」

言った彼の言葉に、申し訳ないけど口を挟む。「えっと・・・あの、その人は?あ、妖・・・?」本当、2人で話してる所申し訳ないんだけど、此処まで置いてけぼりにされると、俺としてもどう対応していいのか分からない。それに、と。彼の方を見る。どう見ても人間じゃない、半透明の彼を見て問うた言葉に答えたのは、ぷんすかと。どう見ても怒っているようには見えない風に憤慨して見せた彼だった。

「しっつれいだね、アンタ。俺様がそんな化け物に見えるっての?」
「す、すいません。」
「あはは。佐助くんは妖じゃなくて幽霊だよ。」
「霊?!」

霊って、・・・幽霊の事か?!今までさんざん妖には会って来たけど、そう言えば幽霊とは会った事が無かった・・・っていうか、いたのか?!と、初めて知った驚愕にさすけ、と呼ばれていた男性を見る。確かに、姿は半透明で、触れれば透けてしまいそうな存在感だ。明るい橙色の髪に、緑の迷彩柄の服。恐らく忍装束なんだろうそれに身を纏った彼の出で立ちには瞠目してしまう。・・・と。「あっち。」

不意に彼女に掛けられた言葉に「え?」と瞬いた。だけど直ぐに彼女が人差し指を山の奥に指しているのに気付いてどういう事かと彼女の指先からかの尾の顔に視線をずらせば、彼女はやはり初めと変わらない、穏やかで優しい笑みをその顔いっぱいに浮かべて続けた。

「あっちに真っ直ぐ歩いて行ってごらん。寄り道はしたらいけないよ。」
「・・・はい。」
「いい子。」

まるで、大人が子供を褒めるような声調でかけられたそれに瞬いてしまった。だけどお礼と別れを告げて、さっき彼女の指差した方へ歩く。さすけという人の口振りだと早く戻りたいみたいだったし、きっと彼女は自分の目的より俺がニャンコ先生を探しているのを優先させてくれていたんだろう。不思議だけど、優しい、人だったな。

「お友達も友人帳も、大事にしてあげてね。」

ふわり。空気に溶けるように耳に届いたその優しい声に「え・・・?」と、振り返った時。けれどそこにその人はいなかった。
あぁ、これじゃあ宿に付く頃には真っ暗になっていそうだな、と。1番始めに彼女に結構時間かかるけど大丈夫?と問われた問いに、本当に時間がかかったなと思いながら彼女に指された方へ正しく真っ直ぐ歩いていくと、その先に見えた見慣れた大福型のそれに「あ、本当にいた。」と思わず声が漏れてしまった。そうすれば視線の先にいたそれ・・・ニャンコ先生がぴくっと反応して俺の方を振り返ると、・・・なんだか物凄い形相で俺の方へ駆け寄ってきたから、その身体を腕に抱きあげた。瞬間、やっぱり驚いたようにニャンコ先生が俺に詰め寄った。

「夏目!まさかお前、1人で来たのか?!!」
「へ?い、いや、」
「この馬鹿者め!此処は人間に害なす妖が沢山いるのだ!お前のようなモヤシ、一口で丸飲みにされるぞ愚か者め!!」

馬鹿者の次は愚か者か・・・ニャンコ先生の悪口なんていつもの事だけど、この気迫は相当だな・・・そんなに危なかったのか。と、そこまで思いかけて、ん?と思う。沢山?・・・そう言えば、彼女も此処には沢山の神や妖がいるって言っていたけど、でもその割に「でも、妖なんてこの山に入って直ぐに襲ってきた奴にしか会ってないぞ」それだけだった、ぞ?それを思って言えば、「そんなわけあるか!!」と即座に声を張り上げられたけど、でも事実だ。
そう答えればニャンコ先生は腑に落ちないような顔をして、最後まで納得はしてない様子だったけど信じてはくれたみたいだ。と、

「む。夏目、お前、いいにおいがするな。」
「は?別に美味しいものとかは食べてないけど、」
「いや・・・なにか、懐かしい匂いだ。お前、誰かと会ったか?」
「あぁ・・・さっき、女の人に会ったよ。」

そう言えば、名前も聞かなかったなと思ってから。だけどあれ?と思いなおす。そう言えば彼女は、俺の名前を呼ばなかっただろうか。あの、さすけという人に、俺を紹介していた。確か俺は、彼女に自分の名前は名乗らなかったと思ったけど。じゃあ一体何処で俺の名前を知ったんだろう。それとも、ニャンコ先生の友達だって言ってたから、ニャンコ先生から聞いたんだろうか?

「・・・名前は聞かなかったけど、ニャンコ先生の事、知ってるみたいだったぞ。っていうか、友人だって言ってたけど・・・」
「なに?どんな奴だ?」
「え?えぇと、なんだかとても綺麗な雰囲気の人だったな。俺が妖に襲われてた所を助けてくれて・・・、」

言ってから、思い出す。「確か、あぁ、そうだ。」名前を聞かなかったと思ったけど、確か、1度だけさすけという幽霊が彼女を呼んでいた。あまりに突然現れたその人への衝撃で今まで忘れていたけど、『ちょっとちゃん!!』「その人、」

「友達だって言う霊に、、って呼ばれてた。」

ざぁ、と。風が吹き抜けて。胸に抱いたニャンコ先生が僅かに目を見開いたのが分かった。そうしてハッと俺を見て、その仕草に俺の方も驚いてしまったけど、だけどニャンコ先生はそれきりまた視線を前・・・いや、僅かに下に落として、まるで、なつかしむような響きで。それこそ、まるで親が子を思うような、そんな、声で。囁いた。

「・・・そう、か。そうか、か。また、来ていたのか。」
「友達って言ってたけど、でもニャンコ先生、封印されてたんだろ?一体いつの間に知り合ったんだ?」
「お前と会うもうずっと前の事だ。」

返された言葉に、思わず「え?」と声を上げてしまった。だって俺は、てっきり、最近の事だと思っていた。俺がニャンコ先生と出会った、封印が解けた、後。なのにそのずっと前、という言葉にぱちぱちと瞬きを繰り返した。だけど今のニャンコ先生は嘘をついているようにも、はぐらかしているようにも見えなくて。ならそれは本当の事なんだろうけど、じゃあ一体どういう事なんだろうとそれを問おうかどうか考えている俺に、ニャンコ先生は酷く穏やかな調子で続けた。

「そうか。なら、お前が妖の類に会わなかったのは奴のお陰だな。」
「え?」
「大方、近くに来た妖物だけを遠ざける術か何かを使っていたんだろう。だから私も、此処に来た神々も気付かなかった。」

「それに、人間が迷い込んできたと知れれば大騒ぎになるしな」なんて、薄ら寒い事をあっさり言ってくれるニャンコ先生には肝が冷えた。か、帰りは大丈夫かなと掠めた不安に、だけどニャンコ先生は来た通りに帰れば問題ないだろうと言う。でも俺、全く同じ道を通って帰れる自信はないぞ、言った俺に、予め術が施してあると分かればそれを辿れる、と。アイツの術なら問題ないと言ったニャンコ先生に、やっぱり知り合いなんだなと。

す、と。重い音を立てて俺の腕の中から地面に落ちて、ゆったりとさっき俺が歩いてきた道へ進んだニャンコ先生が、俺の方を振り返る事無く、また、問うた。

は、笑っていたか?」
      あぁ。とても優しく、笑う人だったよ。」
「そうか。・・・は、笑っていたか。」

そっとささやかに笑んだニャンコ先生に、(      あ、)と、思う。彼女を見た時、初めて会ったような気がしなかった。その理由が、分かった。ニャンコ先生は、人の姿に化ける時、俺や、レイコさんに似た姿に化ける。その理由を、ニャンコ先生は俺達の他にちゃんと見た人間がいないからだって言っていたけど、どうしてもニャンコ先生の人柄なんだろう。鋭い印象を受ける姿の中で、それでもまるで揺蕩う水のような静けさを感じる事があった。・・・きっとそれが、彼女だったんだ。その時に受けたかすかな印象が、彼女と被って見えたんだ。

・・・例えば、俺と出会う前は封印されてたのに、いったいどうやって知り合ったんだ、とか。前に会ったのはいつなんだ、とか。そもそもあの人はどういう人で、何者なんだ、とか。分からない事も、聞きたい事も、沢山あったけど。なんだかとても、嬉しそうだったから。こんなに優しい顔をしたニャンコ先生を見たのは、初めてのように思えたから。だから、それを聞くのは、やめておいた。
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